第二章 取り調べの日々


 新幹線こだま号に乗せられて名古屋に向かう途中、同行した3人の刑事の1人が盛んに電話を掛けに立つ。5、6回も席を立ったでしょうか。私は手錠につながれ、もはや半田署へ連行されるばかり、どこへ電話で連絡する必要があるというのでしょうか。
 私にはピンときました。

 そもそも、小川君の死亡事故以来、半田署、愛知県警による「戸塚ヨットスクール」関係の内偵、捜査は活発に進められていました。その上で逮捕状を簡易裁判所に請求したわけでしょう。その間、私は各地を飛び歩いてはいましたが、別に逃げ回っていたわけではありません。出頭を求め、私が半田署へ出向いたところを逮捕すれば雑作もないことです。にもかかわらず、わざわざ3人の刑事を上京させ、東京都内で逮捕しなけれぱならなかったのはなぜか。

 これは、どう考えても対マスコミ用の配慮としか思えません。
 ほとんど毎日のように、神経症的なマスコミ報道が「戸塚ヨット」の"暴虐性"をわめき立てていました。所轄の警察は、その加熱したマスコミの"食欲"を何らかの形で満たしてやらねぱ格好がつかなくなっていたのでしょう。そして、県警はマスコミをうまく利用したいのです。つまり、両者はもちつもたれつの仲なのです。


 私は試しに、同行刑事にこう提案してみました。
「半田署へ行くのなら豊橋で降りて、そこからタクシーで行きたい。署に許可をもらってくれないか」
 返答は「ノー」でした。

 大罪人トツカを乗せたこだまが着くのを今か今かと待ち構えている報道陣が、名古屋駅にはワンサと集まっていたのでしょう。護送列車ならぬ、罪人トツカの"御用列車"の予定を変更するわけにはいかないのです。

 豊橋駅で、記者が2人、私の乗っている車両に乗り込んできました。ついさっき都内で逮捕されたぱかりだというのに、新幹線の便も、乗っている車両まで知悉(ちしつ)している。まったくマスコミの知らないことはないみたいです。

 無論、警察のアシスト抜きに、そんなことが分かるはずもありません。私を逮捕しにやってきた捜査一課員は、同時に警察の広報担当でもあったわけです。ご苦労なことです。何本も電話を掛けねぱならなかったはずでしょう、確かに。

 さて、新幹線名古屋駅のホームは、予想された通り、いや想像以上の"出迎え"でごった返していました。正確に、私の乗った号車の私が降りるはずの降車口の前に、大勢のマスコミ陣が私の通路を作ってひしめいています。他の降車客はよその出口を使え、というわけです。
 私に向かって刑事が、
「タオルで顔を隠してやろうか?」
と訊きました。
 冗談ではない。
 何も分かっていない。

 刑事にしてみれば親切心で声を掛けたつもりなのでしょうが、小さな親切大きなお世話というもの。これからが本番、これから闘おうとしているこの私が、最初から顔をタオルなどで隠して登場するとでも思っているでしょうか。まったくお笑い草です。

 デッキからホームヘ一歩足を踏み出した途端、わずかに道を空けていた両側の報道陣の列が一気に崩れ、私を迎えるお祭り騒ぎが始まりました。記者やカメラマン、レポーターといった人間が私を中心にお枠難(みこし)を担いたような感じで、のろのろと前方へ進むのがやっとでした。

 折角の舞台ですから、マスコミ相手に一言いってやろうと思っていたのですが、それどころではありません。どうせ半田署の前でもマスコミの歓迎会があるはずですから、そこでのチャンスを待つことにして、名古屋駅西口に用意された車に避難するように乗り込みました。

 それにしても、何というドタバタなのでしょうか。どう考えても、私白身、これだけの人間を動員して大わらわを演じさせるほどの大物とは思えない。大の大人が何十人、何百人と駆り出され、もみくちゃになって口々に叫んでいる。しかも、彼らはそれを仕事としてやっているのです。いったいこの"お祭り"でどれだけの費用がかけられているのでしょう。

 半田署に着くと、入り口から玄関まで、ちゃんとロープが張られて私が歩く場所が確保されていました。私がそこを静々と、おごそかに歩くシーンをマスコミの各カメラマンが自由に撮影できるように、との配慮でしょう。何にしろきめの細かい警察のマスコミ応対ではあります。

 見ると、何台かのテレビの中継車まで来ています。これほどまでする騒ぎなのか。
 「戸塚ヨットスクール」は高額の入校金をとった上で劣悪な合宿環境しかスクール生に与えず暴利を貪る(むさぼる)金権体質、と非難したマスコミが、今、私がただ単に警察署の門を潜ろうとしているシーンを伝えるためだけに中継車まで繰り出している。そんなことのためだけに、それこそ金を湯水のように浪費しているのです。

 連行され、玄関の前まで来たところで、私はチャンスだと思い、一言いうためにくるりと半転しました。
 すると、横にいた刑事が、そのままくるりと私を振り向かせ、ハタで見ていると私は何の意味もなく一回転したように見えたことでしょう。実に鮮やかな手際でした。さすがに相手は手慣れています。結局、私は一言も発言できずじまいでした。

 署には既に弁護士の山本、加藤両先生が来てくれていましたので、早速打ち合わせをしました。ところが、半田署に来て写真と指紋をとられると、また出かけるというのです。

 「どこへ行くんだ」
「愛知県警本部だ」
なんと。
 要するに、半田署へ運行したのは直轄の署で逮捕したという、そのことだけをアピールする儀式に過ぎなかったのです。単に、半田署の"顔を立てる"ためだけのことだったわけなのでした。

 私はまた車に乗せられて名古屋まで、もと来た道を戻り、県警本部に移動。ようやく真夜中になって着きました。
 愛知県警が演出した「マスコミ・サービス」と「半田署の顔を立てる」という馬鹿臭いドタバタ劇の主役を演じさせられ、私は文字通り、市中を引き回されたのでした。

*        *

 愛知県警察本部9階の留置場が、それからの私の起居する場となりました。

 部屋は灰色一色に塗られ、床は板張りの上に安物の薄いカーペットが敷かれてあります。室内には生活の匂いのするものが一切無く、あるのは簡易トイレと毛布が1枚きり。広さは4畳と、後で移った拘置所の部屋の広さと変わりありませんが、やたら天井が高くて、そのために必要以上に狭く感じ、非常に息苦しい気がします。また、トイレはあるものの、室内に水道はありませんから参ってしまいます。タオルも持たされず、汗をかいても着ているシャツで払うしかない。留置場では一切のものから隔絶され、新聞・雑誌はおろか、物音一つ聞こえてこず、全くの孤立状態になってしまいます。
 実は、それが警察側の狙いなのです。

 本来、被疑者を逮捕すると、警察で一応の取り調べをした後すぐに拘置所に移監し、検察は拘置所まで出向いて取り調べを行うのが「原則」なんです。
 ところが、私を始め「戸塚ヨット」事件の被疑者については、
「証拠品が膨大であり、これを拘置所まで運ぶことが困難であるため」
という理由で、警察の留置が認められたのだそうです。これはつまり、留置場を「代用監獄」として認めた、ということです。


 こうしたことを認め、許可を下すのはどこかというと、裁判所がこれに当たります。どんな子供でも知っているように、警察は犯罪を摘発するところ、検察は処罰を要求するところ、裁判所はその容疑を白か黒か判断するところ、となっています。そうなっているはずです。
 しかし、私が親しくつき合っている検警察や裁判所は、そうした常識とは様子が違っているようです。

 逮捕3日目で私の拘置期限が切れる際、警察の出した拘置延長の申請は許可されましたが「代用監獄」は認められませんでした。それで私はすぐに名古屋拘置所に移されたのですが、どこでどうしたのか、たった1日居ただけで、また県警本部の留置場に戻されてしまいました。
 「代用監獄申請却下に対して検察が準抗告したところ、認められた」
とのことです。どうやら「原則」や「常識」は通じないらしく、裁判所は"検警察御用達"のようなのです。

 1日だけ居た拘置所では「収容者のしおり」という所内規則を書いた印刷物が置かれていたので、これを貧るように何度も何度も読み返しました。現代人というのは知らない間に活字中毒になっているようです。

 「代用監獄」は悪名高き反民主的なシロモノで、その撤廃は古くから叫ばれているものです。廃止が最初に論議されたのは何と明治時代のことだというから、驚きです。当時は政府の金銭的余裕がないという理由でタナあげになったようですが、財政の都合がつき次第善処することになったはずの話が、現在もそのままになっているわけです。法治国家を自任し、司法の公正を誇る我が国における"怪談"と言ってもいいでしょう。

 どうして「代用監獄」がそんなに欲しいのでしょう。欲しがっているのは検察側なんです。
 被疑者を閉じ込めて孤立感を高まらせ、徹底的に取り調べをして、検察に都合のいい「調書」を作りあげるためには、この「代用監獄」というのは実に有効なのです。肉体的に拷問を加えれば証拠が残り、検察側が不利になるため、精神的な拷問を加えようというわけでしょう。

 世間から完全に隔絶し、弁護士や家族、知人との面会を極端に制限して孤独感をつのらせ、
「こんなことなら自白した方がましだ」
と思わせるやり方です。

 人間は孤独感にはきわめて弱いものです。拘置所へ行けば24時間被疑者を管理できず、孤独感を持たせ続けるのが難しく、また弁護士たちとの面会・打ち合わせが容易になるので、検察側には"好ましくない"わけです。

 日本の裁判史上、刑事裁判で検察に起訴された被告の有罪確定率が99.8パーセントにものぼることをご存知でしょうか。
 裁判というものが法のもとに公正に行われているとすれぱ、この数字はいかにも奇怪なものでしょう。これは「有罪になる件だけを起訴している日本の検察が優秀であることを示す」というより、検察が起訴した件は間違いなく有罪にしてしまう日本の裁判制度の素顔を示唆する数字です。

 裁判所がどれだけ検察側に"協力"しているか、例えばこんな一例を挙げてみましょう。

 アメリカでは被疑者が弁護士の同席を希望した場合、その希望を無視して弁護士欠席で行われた検察による被疑者取り調べの調書は、手続き不充分として法廷では全く証拠能力が認められないばかりか、不当取り調べを受けたとして被疑者はすぐに釈放されることになります。
 ですが日本では、法曹に関してシロウトの被疑者をだましたりすかしたりしながら、警察や検察が自分たちに都合のいい「調書」を作りあげ、それが裁判所によって立派な証拠として認められ、あまつさえ法廷での証言よりも信頼性が高いとされるのです。

 しかも、こうした「調書」を裁判で証拠として採用されることを拒否すると、 「被告は証拠隠滅のおそれがある」
として保釈も認めない。そのために多くの被告は泣く泣く「調書」の証拠採用に同意し、結局は有罪判決が出るのを待つばかりになる――これが「有罪確定率99.8パーセント」の、1つのカラクリなんです。


 私たち「戸塚ヨット」事件で逮捕された被疑者たちは愛知県下の各警察署に、バラバラに収監拘置されました。これは前にも述べた「孤独感促進」のためと、弁護士との連絡を困難にさせるためです。もともと「拘置所まで取り調べのために運ぶ証拠物件が膨大で大変だから」留置場の「代用監獄」に入れられているのに、こんなに県下バラバラに拘置して、"膨大"な証拠を取り調べのたびに運び回る方が大変だと思うんですがね。

 検察がどんなことをしても私たちを有罪にしようとして引き起こす理不尽は、まだあります。
 当然の権利である被疑者と弁護士との打ち合わせを極力させないのです。
 全然会わせないというのでは、明らかに違憲違法になってしまいますから、面会だけはさせているというポーズだけ。私がこの件で受けた制限は、 「検察の許可を受けた時のみ指定時間に15分間だけ」 弁護士と面会できるというものでした。

 一応、合法を装っていれば、後は裁判所が何とかしてくれる――警察も検察もやりたい放題。裁判などあらかじめ検察の独壇場として用意されているばかりなのです。


 裁判所は検察側に対し、「これはやってはならない」という強制力を持っています。しかし、検察を厳しくチエックするために存在するはずの裁判所が、初めから"協力"態勢をとっているのですから鬼に金棒というわけです。それでも検察が恐れるものが、1つだけ、あります。
 マスコミです。
 マスコミは裁判所と違って、実効力のある強制権を持っているわけではありません。ですが、報道の自由という名で検察のやり方が公正か、合法か、といったことをチェックしそれを公表する"権力"を持っています。検察が思いっきり好きなことをして、マスコミに糾弾されることが、実は最も恐れることなのです。

 ところが、1番恐いはずのマスコミが、今回の「戸塚ヨット」事件では進んで露払いをやっている。"マスコミ裁判"とさえ呼ばれる私たちの件に関して、検察の恐れる唯一の不安も全くないわけです。いや、むしろ正当な手続きを踏み、合法的に進めていった末に「不起訴」にでもなれば、それこそマスコミに叩かれる不安がある。こと「戸塚ヨット」事件に関する限り、検察側の言い分がマスコミに批判されることはあり得ない、安心して無茶ができる私たちはこんな図式の中で、格好の餌食になってしまったわけです。

 警察も検察も、マスコミには媚びるほどサービスがよく、私たちについて悪意に満ちた情報を提供し、マスコミはそれに飛びついて報道と称し「極悪人ニュース」を流す。その繰り返しで、私たちは強力な「社会の敵」としてのイメージを定着させ、歴史に残る「大罪人」としての地歩を固めたのでした。

*        *

 愛知県警本部9階の「代用監獄」は冷房も完備されており、最も近代的設備を誇っているのだそうです。時折、見回りに来る管理職が、
「ここは涼しくてうらやましいよ」
と、いつも言っていました。いくら冷房が入っているとはいえ、外部からの刺激が何もかも遮断されている監獄など、人間の住む所ではありません。私はそんな時、
「いつでも代わってあげましょう」
と答えることにしていました。

 ここで出される食事は、最低でした。
 ある時、肉か魚か判然としない煮物が出てきました。食べてみると、これは魚の<血あい>だけを集めて煮てある。普通は捨ててしまう部分のみを私たちに食べさせているわけでした。
 金を出して自弁食をとることもできますが、私は官給品だけで過ごしました。

 入浴は5日間に1度程度、毎週水曜日には健康診断が行われました。簡単な聴打診と血圧測定です。逮捕直後は度重なるマスコミの攻撃に頭にきていたためか、大きく上昇していた血圧が、みるみる下がり、警察の連中は渋い顔をしていました。取り調べの際に、精神的に落ち者かれては"好ましくない"と思ったのでしょう。

 私の入っていた所の3、4室向こうに「ち―113号」警察庁広域重要指定犯の勝田清孝被告がいました。職員たちも、重罪犯として彼には気を遣っていたようです。昼に30分ほどの運動時間がある。この時、他の留置場収容者と話をする機会があるわけですが、勝田被告とは特にしゃぺることもありませんでした。

 取り調べ室は、私たちの入れられている所からドア1枚を隔てた場所に、10室ほど並んでいました。
 ところが、いざ取り調べが始まるとなると、そこへ行くまでがなかなか大変なんです。まず呼び出され、房から出ると両手に手錠をかけられ、腰縄をゆわえつけられ、ゆっくりと歩いてドアを潜るのです。わずかな距離なのに、ご苦労なことです。

 私が取り調べを受けたいつもの部屋は、窓から真正面に名古屋城が見え、その右の方に御嶽山が望めるという、素晴らしく景色のいい所でした。
 部屋に入ると、まず腰縄の端を椅子にくくりつけ、手錠がはずされます。それからおもむろに係官との雑談が始まり、話し声と沈黙が断続的に繰り返される。時には怒鳴り合いなんてこともありますが、いずれにせよ何とも退屈な時間が過ぎていくのです。

 外からの差し入れはこの時手渡され、食料(果物、菓子類)は取り調べの合間に食べることになっています。衣類の差し入れもできますが、ヒモのついたものは許可されません。房内で自殺をはかる恐れがあるからだそうです。

 取り調べというのは、何とか検察側に好都合な被疑者本人の調書を作る作業ですから、係官たちはあの手この手で揺さぶりをかけてきます。強引に自白を迫るのではないか、と思うかも知れませんが、これは却って逆効果なのです。もともと拘置され、留置場で孤立させられ、今までまったくの1人になったことのない人間を隔離してしまうと、強引さに腹を立てた被疑者は取り調べ官と対立状態を強めて完全に心を閉ざしてしまうからです。
 が、向こうもプロです。この状態に陥れるのも計算のうちなのです。


 被疑者を痛ぶってから、まずこのような状態に追い込みます。被疑者は心を閉ざすことによってますます孤独感を強めている。そこで、それまでとは全然違う、強引さとはかけ離れた柔和な感じの取り調べ官の登場です。顔つきからして"やさしい"のです。
 「そんなテレビや漫画みたいな」
と思われても仕方ありません。事実がテレビや漫画になっているんです。しかも、この方法で、実に効果的に調書作りが進められているのです。

 それまで圧迫を受け、強引な取り調べに反発して自分の心の中の内圧を上げていた被疑者からすれば、、柔和な感じの新しい取り調べ官は、久しぶりに出会った"味方"のような錯覚に襲われ、この係官のペースにはまってしまい、「調書」作りに協力させられることになるわけです。

 警察や検察が請求しさえすれば、裁判所は"自動販売機"のように逮捕状を発行します。本当のところ、ほとんど「事務処理」でしかないのです。
 にもかかわらず、このようなちゃちな「逮捕状」であっても、その紙切れ1枚が人間存在の自由を完全に奪ってしまうのですから、事は重大です。取り調べにおいても、警察側は、
「これこの通り、裁判所もおまえを被疑者と認めたのだ」
というための根拠にしています。

 しかし、実際は容疑が固まったから逮捕状を請求する、というパターンばかりではないのです。容疑が完全に固まっているなら、無理して自白を取る必要はありません。それよりもむしろ、逮捕しておいて取調べを進めながら、適当な「調書」を作りあげていく過程で容疑を固めていくのです。「容疑を固める」というのは、その場で「罪を作っていく」というのと同じことです。

 とにかく逮捕する。別件逮捕でも何でもして、とりあえず被疑者を拘束し、自由を奪ってしまう。それで2、3日間は拘置できます。実は、今は当たり前になってしまったこの2、3日間というのも例外規定なのです。それでダメなら、本命の件で再逮捕してもう2、3日間を稼ぎ出し、合計4、6日間が検警察のものになります。彼らは、この充分な時間を使ってじっくりと被疑者を"落と"せぱいいわけです。

 強情を張ると、過去をほじくり返して何か見つけ出し、その件で再々逮捕。またまた2、3日間。それでもダメなら「精神異常のおそれがある」として"鑑定留置"なる処置をとることもできます。彼らがその気にさえなれぱ、個人の自由などいくらでも奪うことができるわけです。狙いを定めた人物を"有罪"に持っていくために必要な時間は、それこそ無限に作り出せるのです。
 ヘビに睨まれたカエルです。しかし、それをさせないのが裁判所の役目のはずではないでしょうか。

 限りなく拘束され続けていると、どんなに意志堅固な人でも少しでも早く自由をとり戻したいばっかりに、とうとうどれか1つでも罪を認めてしまえ、という気持ちになってしまいます。ところが、それが相手の思うツボなんですね。
 認めてしまえば「容疑確実」ということで拘束はさらに続く。「証拠隠滅、逃亡のおそれがある」などと、理由は何とでもつけて保釈を認めない。

 なぜこうまでして身柄を拘束しておくのかと言えぱ、
「おカミに楯つくとどうなるか、ようく見ておけ」
という世間に対するデモンストレーションでしかない。カエルのはりつけのようなものなのです。今や自分たちの作りあげた99.8パーセントに自分たちが縛られ、出世のためには様々な無理をしなけれぱならなくなっているのです。

*        *

 私の場合も、検警察とも、同様のパターンで取り調べを受けました。
 もっぱら雑談をしていて、その中から何かを引き出そうとするのですが、その意図が丸見えですから、私もテキトーなことを言って混ぜっ返しておく。どういう手を使ってきても私が相手にしないので、相手は途中であきらめてしまったようです。

 検事の中に1人、やたらとちゃちな人生論をぶつ"先生"がいました。「人間、真正直に生きなけれぱいけないよ。正直の頭(こうべ)に神宿るだから」などと話すのです。私は「冗談で言っているのか」と思って聞いていたんですが、どうやら本気らしいのです。本人は大マジメで、しかも長々としゃべっているから驚きです。取り調べを何かと勘違いしているのでしょう。

 検事といえば法の執行人。常識的に言って高潔な人格が条件だし、それだけに社会的地位も高い。常日頃から"先生"と呼ばれる人なのでしょう。しかし、裁判をスムーズに、検察側の思惑通りに進めることしか頭にない仕事を通して、とっくに「正義」とか「公正な裁判」とか「真実」とかいったものを忘れてしまった<いぴつ>な体質になってしまっているようです。"先生"と呼ばれていることに慣れ、自分が本当に"先生"であると信じ込んでしまった人間。彼はこれまでも得意になって被疑者たちに「正直な人生」を語ってきたに違いありません。

 被疑者は取り調べ室で検事と向かい合っているのです。立場はあらかじめ決められています。人生論を聞かされる側は、普通の人であれぱとりあえず畏(おそ)れ入って見せるしかありません。そこで彼はますます増長することになります。

 「人生とは、君の思っているようなものではありません。正直でないと罪を犯すのです」
その検事は、とくとくとそう話すのです。権力の前に不当な扱いを受け、長い間人権を無視され続けている私の人生はどういうことになるのでしょうか。それでも闘い続けようとしている私の人生は、正直な人生とは言えないものなのでしょうか。

*        *

 私がしゃべらないと見た検察は、今度は外から揺さぶりをかけてくるようになりました。
 取引を迫ってくるのです。

 3回目の家宅捜索が行われた後、そのことを報道する新聞を私に見せつけ、
「これで自白しなければ、何度でも捜索してケツの毛まで抜いてやる。弁護士と相談しておけ!」
とすごむのです。
 どんな些細なことでも事件にしてやる、という威しです。

 それでも屈しなかったために、私やコーチたちは十数件にも及ぶ罪状で罪を問われています。ところが、件数が多すぎて裁判がスムーズに進行せず、そのことをとって、
「弁護士が裁判の引き延ばしを計っている」
と泣きごとを言い、「だから保釈はしない」と言い張っています。自分でまいた種のくせに人のせいにします。まるで駄々っ子と同じなのです。

 役にも立たない取り調べが続き、私は2、3日目に起訴されました。その直前の取り調べで係官の刑事が、
「さあて、起訴になるかな、どうかな」
などと心にもないことを言って笑わせました。これだけマスコミの"集団催眠"的ヒステリーに便乗し、またそれを利用して大騒ぎした「戸塚ヨット」の摘発劇です。どんなに間違っても不起訴で幕を引くことはできません。検察側にそんな度胸があるわけない。

 起訴されると、要求に応じて保釈が認められるのが「原則」なのですが、私に限ってこんな「原則」を守ろうという気のある人はいなかったようです。

 「原則」には常に「例外」がつきまとうものです。そして検察側に言わせれば、私はその「例外」に該当するのだそうです。「証拠隠滅のおそれがある」ということですが、私が思うに、検察はむしろ「証拠が新しくできる」ことが恐いのではないでしょうか。それも弁護側に有利な新たな証拠が、私を保釈することによって出てくるのではないか、というおそれです。

 第一、保釈請求を審査するのは検察ではなく、裁判所なのです。それなのに検察が一方的に、しかも実質的に保釈不可を決めつけています。こんな理不尽が堂々とまかり通っているというのが、現代日本の裁判事情なのです。狂った常識と言わねばなりません。
 裁判所が、検察に隷属しているのです。司法の独立はどうなったのでしょう。

 検察は自信を持って、
「保釈しない」
と言い放ちます。
「早く保釈してもらいたけれぱ、何でもいいから罪を認めろ。それが利口なやり方だ」
とうそぶきます。
 検察側が裁判所を実質的に支配下においているからこそ、有罪確定率99.8パーセントという数字も可能になるわけです。

 「若いコーチの連中を早く出してあげなさい」
とまでおっしゃる。すると私が罪を認めれば、コーチたちを放免してやる、とでも言うのでしょうか。それに検察自身罪状が軽いと承知しているはずの若いコーチたちが、依然として拘置されているのはいったい何のためなのでしょうか。検察官の中には堂々と、
「花を捨てて実をとれ」
と言う人までいました。

 起訴になると面会が許可になり、房内で本が読めるようになります。とは言っても、手に入る本は、本件と関係のある個所が切り取られたり塗りつぶされたりしています。

 でも、うれしかったのは、久しぶりに面会で家族や知人、友人の顔を見ることができたことです。起訴後、面会が可能になるや、ドッと来てくれて毎日3、4組の面会がありました。

 ところが、こうして私が"外界"の人間と自由に、頻繁に接することが検察側には不愉快だったのでしょう。私は起訴後いくらもしないうちに急いで拘置所へ移監されました。
 拘置所では1日に1組しか面会が許されないからです。

 私はただちに拘置所へ移されましたが、コーチたちは依然として各警察署の「代用監獄」に入れられたままでした。私が留置場にいたのは1か月ほどですが、コーチたちは何と5か月も、明治時代すでに「不当」とされている「代用監獄」に閉じ込められ続けたのです。

 それでも、この奇怪な事実を、どの新聞も採り上げようとはしませんでした。
 権力の横暴や不正を暴き、指弾すべき社会の"公器"マスコミは、当局のこうした人権無視、ルール違反について、一言も抗議しようとしなかった。実に不思議な現象が起こっていたと言うほかありません。

 初公判は58年10月31日になってようやく開廷しました。
 起訴から実に約4ヶ月が経っています。
 こんなに遅れたことについては色々な理由がありました。が、その最大の理由は、検察側が公判以前に開示すべき証拠を、明かそうとしなかったことです。

 証拠開示は裁判の「原則」。
 なのに、検察にとって都合のよくない「原則」は、それまでと同様に踏みにじられてしまうのです。当然、弁護側は事前の証拠開示を求め、裁判所に抗告します。検察側も開示の必要はないと言い張ります。それで公判開廷が遅れたと言ってもいいと思います。

 が、予想通りというか、案の定、裁判所は、
「検察側の証拠は一部開示されているし、それ以上の開示は必要と認めない」
という断を下し、またもや検察側との連携を見せつけてくれたのでした。