資料T 意見陳述書 (W)
(3) 一男二女の末娘が、中学生の頃、万引きで補導されてから、目に見えてワルになり、毎日、学校に出かけるふりをして遊び回り、暴走族と付き合うようになってしまったと嘆く母親は、こう訴えている。
「戸塚をひどいところだと批判する人たちに私は聞いたんです。暴走族の子供達と1度でも口をきいたことがありますか、非行少女と言われる子が何を考え、どういうことをやっているか知っていますか、と。皆さん、そんなこと何も知らへんでしょう。そういう子を預かるというのはほんま大変なんです。子供たちを叩いたんがいけんというけれど、私かて、何度娘と取っ組み合いのケンカをやったか分かりません。いっそ、娘を殺して、皆で死んでしまおうかしらと思ったことも1度や2度ではありません。
戸塚ヨットスクールが悪いかどうかとか、殴るのがええか悪いかなんて次元のことやない。その子が一生ダメなままで終わるか、それでも何とか立ち直るキッカケがつかめるか、その境目にいるということなんです。あの子がダメなままやったら、もう私は死んでも死にきれません。これは、世間の人が言うような"子捨て"や"無責任"やないんです。子を捨てられるくらいなら、そして、本当に無責任なら、もうとっくに投げ出しています。そんなこと誰ができますか……」
(4) そして、このような情緒障害児の行きつく先を象徴するような1つの事件が発生している。去る昭和52年10月、東京都で発生した事件であり、家庭内暴力で手におえなくなって一人息子の高校生(当時16歳)を、思いあまった父親が扼殺し、母親と共に自殺を図ったが死にきれなかった、いわゆる「開成高校生殺人事件」である。この事件の関係者の証言によれば被害者である高校生の家庭内暴力の実情は次のようなものであったという(朝日新聞、昭54.2.22夕刊)。
「学校ではむしろおとなしい方のAが、帰宅するや否や、まず大声で泣く。『外で人を殺したい気持ちをガマンして抑え、やっとの思いで帰るので泣くのだ』とAは説明した。
そして、泣き終わると大暴れが始まる。手当たり次第に物を投げつけ、家族を殴り、けとぱす。飲食店経営の父親は普通深夜に帰宅するため、攻撃は主として在宅の母親と祖母に向けられた。洗面器で十杯くらい頭から水をかけてグショぬれにしたり、寝ている時にフトンをはいで外に投げ、部屋中に水をまいて眠れなくする。外へ逃げ出しても追いかけて水をかける。破壊の音や叫び声が毎日のように近所の家まで聞こえ、物に火をつけて戸外へ投げる様子も見られた。それが、何ヵ月も続く。事件の数日前には包丁をかざして父親に切りかかり、サラで頭をなぐって負傷させたため、パトカーを呼んで精神病院に収容しなければならなかった」
惨事が発生したのはその数日後のことである。
そして、この判決の中で東京地裁は、この問題については未だ治療法が確立していないと述べたと伝えられている。
これが、情緒障害児と呼ばれる少年たちの姿であり、施設、相談所を尋ね回った揚句、思いあぐねて戸塚ヨットスクールに預けられた子供たちの姿である。
その惨状はまさに体験したもののみにしか理解し難いところであろう。
五 ところで、上記のような情緒障害児に対し、過去国や自治体はいかなる対応を示してきたというのであろうか。
前述の情短施設は、昭和36年の児童福祉法の改正により設立されるに至ったものであるが、その収容人員は先に述べた通り僅かに5百名程度のものであり、かつ、この施設は、同法43条の5の規定自体からも明らかな通り、小学生でしかも軽度の情緒障害児を短期間収容することを目的としたものに過ぎない。
その外には、文部省が発行するパンフレットには、昭和56年現在、情緒障害特殊学級が全国に約1,800あるとの記載があるが、これが実際には全く有効に機能していないことは周知の事実であり、また、自治体の福祉事務所の中にある家庭相談所や、全国の主要都市に設置されている児童相談所も単なる相談や指導が中心である。
一方、民間の施設としては、まず、精神科医療があるが、これは3時間待って10分と言われる実情で、治療効果は殆んど認められないのが実情であり、他には静岡県袋井市の「デンマーク牧場」、あるいは校内暴力をはじめとする悪質な非行少年たちを進んで受け入れ、体当たりで立ち直らせている若林繁太校長の率いる長野県篠ノ井旭高校などが著名であるが、その数はまことに微々たるものである。
先に述べた情緒障害児の数からみれば、その治療施設は殆んど皆無に等しいというのがその現状なのである。
本件は、こうした既成のシステムと機構がいかに無力で役立たないかを明らかにした事案であり、この事実こそが、戸塚ヨットスクール繁忙の原因でありその社会的背景である。
現に、同スクールにはこのような施設、相談所をめぐり歩いた者が多数いることは戸塚被告人が述べた通りである。
ここに、その間の実情を示す好例がある。昭和57年6月から同年11月の末まで戸塚ヨットスクールにいた、16歳のある少年A君の例である。
この少年の母親は次のように述べている。
「この子は、小学校時代は、ごく当たり前の子供でした。友達も多く、どちらかといえば腕白坊主というタイプで算数が得意でした。主人の体が弱いので、私が店に出てはいましたけど、夕食はいつも一緒にとるようにしていましたし、年に1度は旅行にも行っていました。一人息子ですから、できるだけのことはしました。かまい過ぎたのかもしれません。でも、けっして過保護には育てていませんし、溺愛したのでもないと思います。成績は中くらいでした」
ところが、A君は、中学に入ると、いわゆるツッパリグループと付き合うようになってしまい、2年生になると、登校拒否が始まり、6月になると、全く登校しなくなってしまったのである。
「登校拒否の原因は、息子の友達が私どもの家庭の悪口を言ったのがキッカケだったそうです。担任の先生も心配して、うちを訪ねてくれましたけれど、息子は嫌がって"その敷居の内側に一歩でも入ってみろ"という始末でした。
私も困ってしまい、精神科の先生を訪ねたりしましたが、とにかく"本人を連れてこい"と言うぱかり。ひどい先生になると、"腕ずくでも連れてこい。そうすれば入院させる"と言いながら、"薬を投与しても3年はかかりますよ。ま、このまま3年間放っておくのと大差はないな。3年たって、本人が鮨屋の小僧にでもなろうかと、言い出すのを待つしかないな"と言うんです。私はどうしていいの分わかりませんでした」
A君は中学を卒業し暴力をふるうようにもなった。しかし、母親が児童相談所にいくと、18歳までは、子供を預かるのがタテマエになっているのだが、A君は義務教育が終わっているからダメだと断られたのである。
心理学の先生、県の衛生センターの先生、誰もが具体的なアドバイスをしてくれなかったという。逆に、「もう子供を捨てなさい。自分の子供と思わないことです」とケンもホロロ。
しかし、そうこうしているうちに、A君の家庭内暴力はエスカレートしていった。棒で両親を殴る。障子、ガラス、フスマなど跡形もなくなっていた。タンスの中からは、洋服を引っ張り出し、カッターナイフで切り裂く。そのナイフを持って、両親を追いかけ回す。
A君のこうした行動は夜はかりだった。昼間はおとなしく、部屋に閉じこもったままで、夜になると親、祖母までがケガを負わされるようになり、このままでは殺されると思って、とうとう両親は家を出てしまった。A君だけがその家に残ったのである。
食事は、A君の寝ている間に、母親が冷蔵庫に入れに行っていたが、これでも"危険"になった。家の軒下のサオに、3食分の弁当をぶら下げることにしたという。
しかし、それでもA君は、自転車で食料を届けにきた母親の姿を見ると、追いかけてきて殴る蹴るの暴力をふるっていた。
「殺せるものなら殺したいとすら思いました。息子は、長い間、陽に当たっていないので、顔は真っ白。太って動きも鈍くなっていました。戸塚ヨットスクールのことは、2月にテレビを見ていたので、捜し回って、5月にやっと見つけました。2件の死亡事故のことも知っていました。でも"死んでも仕方ない。イチかバチかだ"と思い、迷いはありませんでした」
こうして、A君が戸塚ヨットスクールに入るようになったというのである。
現時点で、戸塚ヨットスクールに第三者的評価を加えることは、極めて容易であり、その場合大方の結論は「ヨットによる鍛練を通じて立ち直れる子供がいる一方に、こうした訓練に適さない子供もいるのであるから、戸塚ヨットスクールは、子供の適応性について、もっと細かい正確な科学的な分析が必要であった」ということになるであろう。
しかし、数多くの体験によって両親の苦痛を知り尽くしている被告人らが、困り抜いた両親らに殺到された場合、これを拒絶することが、いかに心苦しく、困難なことであるかは、そのような立場に身を置いたことのある人間でなければ理解できない事実であろう(小此木啓吾「精神科医からみた戸塚ヨットスクール事件」中央公論、昭和58年9月号参照)。
六 以上に述べた通り本件は、情緒障害という深刻な社会問題に対する、行政当局の対応の遅れという狭間の中で発生した洵に不幸な事件であった。
しかし、この深刻な社会問題に、1人の民間人が様々な批判を浴び続けながら、孤立無援で必死に取り組んでいたこの数年間、国や、自治体は、一体、どのような具体的対応を示したというのであろうか。
そこに、見られる事実は、この事件が発生するや、直ちに、所管外であるとして、その責任を厚生省に押しつけ、国会で予想される質疑に対する答弁を回避しようとしたという文部省の役人の行動(中日新聞 昭58.6.20夕刊)に象徴される通り、一貫して無為無策であり、責任回避に終始したものであった。そして、その一方でこの問題に必死に取り組んだ被告人諸君に与えられた報酬は、営利のみを目的とした悪逆非道の「組織的暴力集団」という汚名であり、長期間の身柄拘束であり、そして、今後長年に渡って続くであろう刑事被告人という立場であった。
そこには、被告人らを一方的に非難し、責任を回避しようとする姿勢はあっても、被告人らが提起した深刻を極めるこの問題について、今後真摯に取り組もうとする、一片の誠意すら感得することはできないのである。そして、その状況は現在も殆んど改善されていないのである。
例えば、去る9月22日開催の愛知県議会において、次のようなやりとりが行われている。
質問(議員)
「一連の暴力事件に関する戸塚スクールの逮捕者は20人を数え、これからは裁判所の審理にまかされるが、問題は、同スクールに預けられていたような子供たちをどこが引き受け、誰が、どのように教育、治療をしていくのかである。現在、登校拒否、家庭内暴力、情緒不安、無気力などの問題児童を収容し、治療する施設は不充分であり、このような社会的背景が戸塚ヨットスクール問題を生んだ一因ではないかと思う。
まず第1に、知事はこの事件についてどのような考え方と認識を持っているのかお伺いする。
第2に、本県における情緒障害児、情緒障害者あるいは、自閉症的な無気力児童などの現実をどのように把握しているのか、具体的に明らかにされたい。
更に、現状は、公立、私立とも、ほとんど他県まかせではないかと思うが、どのような対策を施しているのかお伺いする。
第3に、この事件を契機に、県としてはどのような施設で受け入れをし、生涯教育を含めてどのような教育を施していこうとされるのか、具体的にお伺いする。
第4に、行政の谷間にある者のごく一部の者が「戸塚」に入っていたとしても、金がない、本人が承諾しないなどにより、そこに入れない人たちを県はどのように位置付けているのかお伺いする。
第5に、本県におけるこの問題の相談業務がばらばらであり、この機会に統一された機関を考える必要があると思うが、その考え方についてお伺いする。
第6に、近県にある静岡県のジャガイモ天国、浜松市郊外のデンマーク牧場、三重県の日生学園などをどのように考えているのか、知事及び教育長の所見をお伺いする」
答弁(知事)
「戸塚ヨット・スクールその他情緒障害児の問題であるが、児童福祉施設を始めとする、関係の公の機関が進んで利用してもらえるような体制を整えていかなければならない。いずれにしても、福祉事務所等の関係機関と連携して、問題児童をす早く発見して適切な手を打つことが大事である反面、家庭でもしっかりしつけをしてもらう必要がある。
それから、窓口の一本化についてであるが、窓口は非常に多岐にわたっており、一本化は難しいと思うので横の連携を密にすることを考えている」
答弁(教育長)
「最後に、じゃがいも天国、デンマーク牧場及び日生学園の所見であるが、じゃがいも天国、デンマーク牧場の趣旨は、大自然の中で勤労的学習を行うことにより、情緒障害を直そうというものであると思うが、養護学校においてもそのような趣旨の勤労体験的学習は行っている。ただ、公立でそのような学校を作るとなると、色々と問題があると思う。これら3つについては、充分承知していないので、今後よく調査、研究してみたい。」
以上のやりとりによって、明らかとなったことは、本件が発生して数ヶ月を経た時点において、なお、愛知県が情緒障害に対し、無策であったという事実であり、かつ、将来に渡って積極的に取り組もうとする姿勢もまた殆んどないという事実であろう。
先に述べた文部省の役人が本件発生後、直ちに厚生省にその責任を押しつけ、国会での答弁を回避しようとした姿勢と見事に一致するものと言うべきであろう。それから4ヶ月近くもたった、本年の1月11日、愛知県はやっと腰をあげ、半田市にある短期治療施設「ならわ学園」に中学生も受け入れられるような予算措置を講じたということである。しかし、その内容はといえば、受け入れ人数が僅かに15名であり、およそ抜本的解決とは程遠いものであった(朝日、中日各新聞昭和59年1月11日夕刊)。
要するに、本件を契機に情緒障害児問題に対する取り組みの不充分さを指摘された県当局がその批判をかわすために、お茶を濁した程度のものでしかないのであり、現在は、その程度のものさえ存在しないことを、自ら明らかにしたものであった。
そしてそれは、加藤校長代理が逮捕された当日、境野貢コーチが記者会見の席で述べた、「我々が、頑張り続ければ行政機関も情緒障害児のことを真剣に考えてくれるようになると思う」という同コーチの切なる願いを裏切るに充分のものでもあった。
情緒障害児を抱えた多くの家庭は現在もなお、地獄の日々を送っているのである。
第七 おわりに
最後に弁護人らは、この法廷における今後の審理において全力をあげて次の主張と立証を行なわんとすることを明確にする。
まず、その第1は、捜査当局がこの事件の捜査手続において、いかに刑事訴訟法の定める適正手続を無視し続け、違法な捜査を繰り返したかを明らかにすることである。第2は、本件の訴因の1つ1つが、事実上もまた法律上も極めて疑問の多いものであること。そして、第3は、30数件に及ぶ本件各訴因の1つ1つがその何れを取り上げてみても情緒障害という深刻な社会問題を背景として生起した事件であることである。
弁護人らは、裁判所が以上3点について、充分目を据えた審理を尽くされるよう、切望するものであり、かつその何れの1つを欠いたとしても本件について妥当な結論を導くことは不可能であることを付け加えたい。
そして、そのような審理によって導かれるであろう本件の結論こそが、情緒障害児問題と言われるこの社会問題に、必ずや1つの回答を与える結果となるであろうことを弁護人らは確信するものである。
