報道検証3
「置いてけぼり」に気づかない中日(東京)新聞
このホームページの冒頭にもあるように、戸塚ヨットスクールに対する正しい報道は"1度も"なされたことがありません。すべて、マスコミの予断と偏見による「誤報」から始まっているのです。今までのマスコミ報道がいかにいい加減なものであったかを知るのに、中日(東京)の記事は、格好(?)のテキストと言えます。
まず、中日(東京)は、「体罰死事件」という"間違い見出し"を第1面に使っています。
戸塚ヨットに「体罰」があったのは事実。「死者」が出たのも事実です。しかし、死者と体罰に関係があったかどうかは、厳密な証明を要する事柄です。死亡事故発生が起きて、マスコミが「死んだのは体罰のせいではないか」と騒ぐのは、まあ仕方ないとしても、「体罰で死んだに決まっている」と決め付けるのは許されないことです。そんなもの、報道とは言えません。
たくさんの状況証拠があっても「ロス疑惑事件」は「疑惑」でしかありませんでした(第2審で無罪。係争中)。ヨットスクール事件も状況証拠しかないのですから、もし書くなら「体罰死疑惑」とするべきなのです。しかし、19年前の事件当時は、こんな基本的考察もしないほどにマスコミは興奮していました。中日(東京)に限らず、全マスコミが「体罰死に違いない」という前提でセンセーショナルな報道に熱狂しました。「赤信号、皆で渡れば怖くない」状態だったのです。
つい昨年も、共同通信社は「戸塚校長、参院選に立候補」のニュースで、「体罰で死亡した戸塚ヨットスクール事件」という"誤報"を配信しました。新聞社に記事を提供する通信社でさえ、この表現が間違いであることに気づいていなかったわけです。実に19年間も!
同社はその後、当方の指摘を受けて「体罰で死亡したとされる…」という訂正記事をやっと出しました(ただし、謝罪は無し)。
共同通信のこの訂正記事が何を意味するかに多くの新聞社が気づいたようです。今回の上告棄却報道で、「体罰死事件」などという間違い見出しは、読売も産経も、朝日でさえも使わなかったからです。しかし、中日(東京)(と毎日)だけが「戸塚ヨットなら何を言ってもかまわない」という19年前の態度を相変わらず続けています。
中日(東京)は上告棄却報道に1面と社会面の見開き2ページを割き、翌日は社説でも糾弾するという徹底ぶりでした。こんな新聞でも東海地方では影響力を持っているので、スクールが受ける風評被害は甚大です。
▼ 平成14年2月28日朝刊、1面の中央部で、紙面の5分の1程度を割いて上告棄却の第一報を載せています。
まず目を引くのが戸塚校長の顔写真。ものすごい形相の写真を使っています。事件当時さんざん使われた、卑劣なイメージ誘導法です。そして、「ヨットスクール体罰死事件」という誤報見出し!
記事中「この事件では、情緒障害を抱えた子どもらへの厳しい体罰を伴ったスパルタ式訓練が、教育や治療のためとして正当化されるか否かが最大の争点になった」とあります。
これも事実とは異なる誘導です。「教育論」が刑事事件の訴追対象になるわけがありません。裁判の争点は検察側の主張する訴因が正しいか正しくないかです。つまり、死亡した2名が果たして「暴行」による「外傷性ショック」で「死亡」したのか、行方不明の2名が果たして「監禁」が原因で「死亡」したのか。これらを証明することが最大の争点でした(Q&A61〜80を参照)。
また、「二人が洋上で行方不明後に死亡した」とありますが、これもおかしな表現です。「行方不明」というのは「行方が分からない」ということなのですから、死亡したかどうか分かるはずがないのです。「体罰死事件」という表現と同様、あくまでも憶測に過ぎないものが、いつの間にか断定にすり替わってしまっています。行方不明の二人がひょっこり帰って来たら、中日(東京)はどう報道するつもりでしょう。
▼ 同日、朝刊の社会面。1面の関連記事として見開き2ページを使って戸塚ヨットを糾弾しています。
向かって右ページに、「悔やむ日々 遺族晴れず」と題して小川君の母親からコメントを取っています。「何の落ち度もない母親の、何の罪もない子供が戸塚ヨットに無残に殺された」という論調です。
例によって、母親は「戸塚ヨットのことをよく知らなかった」とあります。これは朝日新聞の「窓」と同様、オカシナ話です。当時、情緒障害児の矯正施設として有名な戸塚ヨットは、たくさんの入校待ちを抱えていました。小川君は、その行列に割り込むようにして、わざわざ神奈川県から入校した子です。「よく知らなかった」なんて事はあり得ません。お涙頂戴のために事実を曲げるな、と言いたいです。
▼ 同じく社会面の左ページ。こちらは一応スクール側の言い分を載せています。ただ、あちこちに「強弁」だとか「強気の姿勢」だとか、「(控訴審判決を)悪意を持った判断と切り捨てた」などという修飾語を散りばめています。ふてぶてしさを強調したワイドショーのような紙面作りになっています。
戸塚校長が主張する「体罰と暴行の違い」はちゃんと載せてありました。また、石原慎太郎会長のコメントもあります。これだけは評価できます。なぜなら、石原氏が「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長であることは、どの新聞社も周知のはずなのに、中日(東京)以外はどこもその事実を取り上げていないからです。新聞各紙は、19年経った今でも、皆で仲良く「情報の握りつぶし」を行っています。
石原氏の戸塚擁護論があるために、1面、社会面と続いた戸塚バッシングをやや中和されています。また「ヨットスクールの今」と題し、戸塚ヨットのホームページが存在することや、現在もスクールが変わることなく活動していることも掲載されています。ここまで見てくると、19年前のバッシング一辺倒の報道より少しはマシになっていると言えなくもありません。
▼ 翌、3月1日朝刊では、また一方的な戸塚ヨット批判の社説を載せていました(社説で扱った唯一の新聞)。
見出しは「体罰は教育ではない」というもの。
ちょっと見た限りでは、戸塚ヨット事件を教育問題として正面から論じようという、実に堂々とした見出しに見えます。社説に取り上げること自体をしなかった朝日のような卑怯者とは違います。
ところが、本文は「死に至らしめるような体罰は教育ではありえない」という極端に対象をせばめた文章で始まるのですからガッカリです。この新聞は、「死」という言葉を水戸黄門の印籠のように握りしめていないと、戸塚ヨットと教育論争をする勇気がないのでしょうか。
「子供の進歩向上を本当に願うなら、時として体罰を用いるのが有効である」というのが戸塚ヨットの主張です。もちろん、体罰で怪我人や死者が出ることなどあっていいはずがありません。ただ、そういう事故が起きる可能性を完全に排除することはできない。そして、もし事故が起きても、それは「体罰のやり方が不適切であったか、過失があった」ということであって、体罰の教育的効果とは切り離して論じるべきものだと言っているのです。こんなこと、当たり前ではないですか。
社説の結論部分は、「子どもの心の病に正面から取り組み、親の心労をも取り除く医療、教育体制を早急に整えることが、行政、教育関係者の責務のはずだ」と言います。これは話が全く逆。子供の心の病に正面から取り組んでたくさんの成果を挙げ、そこから「脳幹部をトレーニングすることで情緒障害を直すことができる」という実践的理論を打ち立てたのが戸塚ヨットスクールにほかなりません。
その理論に基づいて医療と教育体制の歪みを正そうとしているまさにその時に、マスコミの弾圧を受け、不当な裁判へと追いやられたのです。そして19年間の苦難を強いられた末に、最高裁の上告棄却という"天動説"判決が出されたわけです。最高裁をそのような誤審に導いたそもそもの原因は、他ならぬ中日(東京)のような白痴的煽情報道の洪水であったという構図をそろそろ理解して欲しいものです…。
他紙は「風向きの変化」を感じ取り、かつてのような戸塚ヨットスクール攻撃を慎重に控えるようになりました。そうした中で、中日(東京)だけが「置いてけぼり」にされたことに気づかず、ただ一人無知で幼稚な攻撃を続けているのを見ると、ちょっと可哀相な気さえしてきます。
(延武眞美、横田建文 記)