U章 ヨットスクールがしてきたこと (前)


ヨットスクールでは、まず情緒障害児特有の甘えを否定します


 名古屋の駅から名鉄・河和線に乗ると、約1時間で海の見える町に着く。
 終点は「河和」駅。知多半島の東側に位置する静かな町です。海水浴場もあり、潮干狩りも楽しめる海岸が駅からさほど遠くない所に広がっています。
 目の前に広がる海は知多湾。湾を出れば太平洋へと続きます。
 私が知多湾からの風をダイレクトに受けとめる河和の海辺にヨットスクールを設立したのは、そこに温暖な気候に恵まれた小説の舞台になるような海があったからではありません。私は子供のヨット・トレーニングに適した海を探していました。いくつかの条件がありました。まず、初歩的な操船技術を教えるための静かな内海が必要です。かといって、波が静かであればどこでもいいわけでもありません。適度な風に恵まれることがヨットには必要なのです。時には荒々しいまでの風も吹いてくれなければ困ります。その風にひるむことなく立ち向かえるようにするのが、スクールの目的なのですから。
 海、そして自然界は温室ではありません。いつ、どこで、いかなる状況に巻き込まれるか、予測はつきません。
 子供達がこれから乗り切っていかなければならない"人生"もまた、そうです。
 誰かが手を引いて導いてくれるものではないのです。人生の、そのとば口でつまずいてしまった子供達に、自分の力で海=人生を乗り切る力をつけさせようとしているわけですから。温室は不要です。
 河和の海は、そういう意味でヨット・トレーニングに適していました。ベタなぎ(風がまったく吹かず波も立たない状態)の日もありますが、ここはおおむね風に恵まれています。海も汚れてはいず、大型船舶におびやかされる心配もありません。また、ある程度ヨット技術が上達した後、子供達でチームを組みクルージングに出ますが、その際の地の利も、ここにはあります。それが河和に戸塚ヨットスクールの合宿所を定めた理由です。

 ここで合宿所について若干、説明しておきましょう。
 現在、合宿所として使っている建物はかつて海浜レストランでした。それを譲り受けて改装したものです。1階にはスクールの事務所と子供達の食事を作るキッチンがあります。2階がコーチ達の寝泊りするスペースと女子生徒のためのスペースです。3階が男子生徒達の寝泊りする場所になっています。各フロアはそれぞれ約90u。各階にトイレがあり、風呂は2階にあります。しかし、この風呂は小さいので、ほとんどの場合、この町に古くからある旅館「角屋」さんの風呂を使います。
 多い時は約70〜80人の子供達が、1つの建物の中で共同生活をしています。もちろん、今の合宿所が十分な広さを持っているとは考えてはいません。もう少し広いスペースがあればと思うことは、しばしばあります。
 と同時に、合宿所はホテルではないのですから子供達一人一人にゆったりしたスペースが必要だなどと思いません。
 豊かな会社で育った今の子供達は、ぜいたくに慣れています。親にねだり、あるいは親をおどかして金を手にすれば、何でも買えると思ってます。
 私は"豊かな社会"それ自体を否定するつもりはありません。国全体が富み、ゆったりと暮らせる社会は理想とすべきです。しかし、急激にモノがあふれ、本当の意味での豊かさを身につける前に、豊かさのひずみが現われてきたことも、また事実です。父親はその間、外に出てひたすらに働いてきました。悪いことではありません。しかし、その分、家庭を顧みる余裕を失った。母親は自分のレゾン・デートル(存在意義)を子供との関係の中に見出そうとしました。それが子供に対する過度な介入となった。子供はその中でもがき始めた――。一般論として、ごく平均的な家庭像をスケッチしてみれば、そういうことになるでしょう。
 父親の収入は増えました。しかし、逆に失われたものもあるのです。今はそれを、豊かさのひずみとだけ言っておきましょう。
 私は、ヨットスクールにやって来る子供達が家庭内で持っていた環境を、合宿所でもそのまま与えはしません。親にねだり、すね、怒りを爆発させ、泣きわめけば何とかなるだろうという情緒障害児特有の甘えを、まず否定します。
 ヨットスクールに入ってきた子供達が、まず最初に何を体験するかを書いてみましょう。



私たちは子供たちに対して、あくまで"他人"として接します


 例を挙げます。
 仮にB君としておきましょう。入って来た時は高校2年生でした。きっかけは、父親から私に問い合わせがきたのです。
 「17歳になる息子が暴れて手がつけられないんです」
 よくある話なんです。17歳の男の子ならエネルギーはあり余っている。それが自分を向上させるために外に向けられるならいいわけです。この父親は、疲れきった声で言うのです。
「ダメですわ。立派な体しとるのに学校も行かずに家の中に閉じこもって、ことあるごとに暴れるんです。学校の先生とも随分相談したんだけんども、まず、ダメだな。母親はおびえちまっとるし、もう私の力でも抑えられない。何度も話し合いはしました。どうしたいのか、何を望んどるんか、朝方まで話をしたこともあるんですわ。わかった言うて、ちょっとはヤル気出したかなと思ってもまた家にこもっちまう。で、また暴れる……」
 電話線を通じて低く、くぐもった声が聞こえてきます。東北なまりがあるので、聞いてみると青森から電話していると言う。
「お父さん、その子をここまで連れて来られますか?」
 そう聞くと、しばらく考えて、
「だまして連れて行くわけにはいかんし……」
「もちろん、ちゃんと話をした上で連れて来て下さい」
 そんなやりとりがあった後、「とにかく説得してみます」と言って電話は切れました。
 いざとなったら、青森でもどこでも、こちらから迎えに行かなきゃならないなと、私は思っていました。
 数日後、親子がやって来ました。
 親にはそのままひきとってもらい、17歳のB君が残ったわけです。なるほどと、思いましたね、服を着ているから、見ばえがする。一見、並以上の高校生です。この子が家庭内暴力をふるう問題児だって、普通の人が見たら恐らく信じないでしょう。
 体がデカイから虚勢は張れます。スクールの1階の事務室で、まず話でも聞いてみようかということになりました。その時、コーチの1人がB君の持ってきた荷物に触れたんです。
「なんだ、てめえ!何しやがるんだ!」
 怒鳴ったのはB君でした。
 しかし、そこまでです。コーチは即座にB君を殴り倒しています。中途半端にではありません。その時はその場に数人のコーチがいましたから、B君は完膚なきまでに殴られました。
 恐らくそんなことは、B君にとっては初めてのことだと思います。
「すいません、すいません!オレが悪かったんです。すいません」
 B君は泣き出して、そう言うのです。
 それが、最初です。
 ここまで読めば、戸塚ヨットスクールは、何てひどいことをしやがるんだと思う人もいるでしょう。
 私は、新入生徒にゲンコツの洗礼をあびせて入学祝いだなどと嘘ぷいているわけではありません。先を読んで下さい。
 親と子の間ではどうにも解決のつかなくなった問題児達を私は預かっています。私や、ヨットスクールのコーチ達が"親代わり"となってその子供と対時することでは、問題はいっこうに解決しません。それをすれば、家庭からヨットスクールに場所を移しただけで擬似親子関係を継統させることになってしまいます。
 私達は子供達に対して、あくまで"他人"として接します。よそのオジサンなわけです。当たり前のことですが、人間が生きていくためには他人と協調し、時には競争していかなければなりません。他人とのコミュニケーションを拒否すれば、家庭という空間から出られなくなってしまいます。"他人"をまず恐れ、やがて慣れ親しみ、その後に克服していかなければならないのですね。
 そのための"他人"として、私やコーチ達が存在するわけです。
 "他人"は子供を甘やかしません。容赦なく子供の前に立ち塞がります。
 そのことを、言葉で言うだけで理解する子供はヨットスクールには来ませんし、来る必要もないでしょう。具体的な力で示さなければわからないケースがあるのです。頭で、心で理解できなくとも、体はそのことをいやおうなく覚えます。
 それゆえ、ヨットスクールに入って来たその日に、肉体にわからせる方法をとることが、しばしばあります。ただし、全てではありません。無差別に、同じことをするわけではありません。子供の体の状態、ヨットスクールにやってきた背景……等々、考慮に入れた上でのことです。
 無差別に、そんなことをするのであれば、ここはもう「スクール」などではありません。当然のことです。
 にもかかわらず、マスコミは事実を歪め……と繰り返し言うのはやめしょう。1つ1つ、説明していけば、必ずわかってもらえるはずですから。



頭を坊主にすることで、子供たちの世界を一度分解することができる


 男の子は全員、坊主にします。
 青々と刈り上げます。女の生徒は長い髪をおかっぱ程度に短くします。ショート・カットで髪を染めている子供の場合でもハサミを入れます。故意に、めちゃくちゃにハサミを入れます。
 これも、ヨットスクールにやってくる前に子供達がこだわっていた世界を1度、壊すためです。
 あらかじめ書いておくと、こういった一連の方法は"理論"があって始めたものではありません。私が頭で考え、こうするとこういう意味があるのではないかと仮定してスタートしたものではないわけです。
 全て、経験から導き出されたものです。
 ヨットスクールに入って来た最初の日に頭を青々と刈り上げるのは、当初、別の目的がありました。もっと単純に考えていたのです。ヨット訓練で海に出る。何度も海に投げ出される。髪が濡れる。それをいちいち気にしていたのではトレーニングにならない。そういう理由が1つ、さらに頭にケガをした場合、坊主にしておいた方が見えやすい。頭は極めて大事なところですから、ハードなトレーニングをする場合、常に気をつけなければならない部分です。海上訓練では、必ずヘルメットを着用させています。それでも、頭を傷つけた時のことを思えば坊主の方がいい。それが第2の理由です。
 そんな理由で坊主にしたわけです。
 以後、何百人もの子供を見てきました。その結果として、ヨットスクールに入って来た時点で坊主にすると別の効果があることに気づいたのです。
 子供達の虚飾が、一遍にはがれてしまう。髪の毛を伸ばし、丁寧にクシを入れている時の子供からは、彼らの本当の姿は見えません。ソリ込みを入れ、ツッパっている子供はかろうじて虚勢を保っているに過ぎないわけです。髪の毛は子供達にとって最後の拠り所です。そこだけは、自分の意のままになるわけですから。
 その髪を刈り上げてしまうことで、子供達が持っていた世界を1度分解させることができる。子供の頭を刈るのはコーチか、あるいは先輩の子供達です。あえて、子供達自身の手でやらせます。
 頭を刈り上げられた子供の表情は、一変します。何とも情なさそうな表情が見えてきます。子供は、むき出しにされた自分と向き合うわけです。虚飾を捨てて、ありのままの自分と対峙する準備が、これでできあがることになります。

 親から私宛に書かれた手紙を紹介してみます。戸塚ヨットスクールにやってくる子供達は、簡単に類型化できません。
 それぞれ、個別的な背景があります。以下に紹介するのは22歳でヨットスクールに入って来た青年の例です。ここでは名前を仮に"明男"君と呼んでおきましょう。手紙を書いてきたのは、明男君の母親です。情緒障害児達がどういう生き方をしてきたのか、おおよその見当をつけることができます。
■手紙@――明男君の母からの報告
 「前略ごめん下さい。息子・明男は22歳で無気力そのもの。絶対に働かず(社会が怖いのかも)、親にしがみついていると言えます。日常のこと一切に口を出し自分はやらず文句ばかり。
 保育園に入った時から行くのを嫌がり、皆と一緒に登園せず私が毎日連れて行きました。初めての夏休み前日、ひきつけを起こし、小学2年まで年に2回やるようになる。それ以後はない。現在でも脳波は多少の異常波はあるものの薬を飲む程ではなしとのことで現在に至っております。
 小学1年の時に脳波検査を受け、その時の先生にはテンカンと言われる。以後、中2迄薬を服用する。小学校に入学しても登校拒否をやり、小3の2学期迄は私が連れて行きましたがそれ以後は途中の松の木にしがみつき連れて行けなくなり、その後は自分で行ったり休んだり、時間になると腹が痛くなったり頭が痛くなったり。少しでも注意すると、頭が痛いと言って泣き、頭をタンスや壁にぶつけたりしました。
 医者にガミガミ言うなと言われ、注意しなければいけない生活態度でしたが以後2年間位、親がじっと我慢の子をしましたので、我儘になりました。小3の時、盲腸手術入院中夜中にぐずぐず言って同室の者が嫌がりました。小さい時からかんしゃくもちですぐ怒ります。数学がわからんと言っては私に聞くので図入りで説明すると、自分は違ったやり方で式を書くと言う塩梅です。そしていつも教える度に私が殴られるのです(自分がわからないのに私がわかるため腹が立つのです)。これは何べん言ってもだめでした。友達の家へ遊びに行くのにも、相手の家へ声もかけられず、ただ近くをぐるぐる廻ってるだけで、家人が気づいて声をかけてくれてやっと家の中へ。親の顔もよく知っているのにだめなのです。人みしりは小さい時から激しい。又、保育園の時に私が用事で息子を連れて出かけた時も、相手の家の入口から3m位離れた所に止まり、どうしても家の中へ入らずに泣く。
 中2の時、私が注意したのが気に入らず2学期末試験をボイコットし、俺は困らない、母ちゃんが困るだけだと言って澄ましている。こんなことすると自分が困るのよと注意してやるのだが、3年1学期末に又もや平気で休む。先生に伝えると今度はやらないでしょうと言うので、絶対にやりますよと伝え、その通りとなる。この時も、私が日常の生活のことで注意したのが気に入らんと言ってやったのです。そして本人は俺は困らん、母ちゃんが困るのだと言っていた。
 中学へ入学してから担任の先生に相談したが、学校は関係ありませんとはっきり言われた(あんまリ体むので)。
 中3の1学期に又、休みが激しくなり、9月から児童相談所へ55日入所。それ迄は、2年頃からものも言わず、暴力はふるう、お前、ばばあ、と言葉の暴力と行動の暴力。自分は絶対に悪くない、人が悪いと。どこが悪いか教えてと聞くと、自分で考えよと言って教えてくれず、相談所から帰って来てから少しづつ話す言葉も増え、母ちゃんと言うようになる。
 高校へ入学してから始めの4月は張り切って行くが5月にぼちぼち休み、6月に又多くと、いつもと同じパターンだ。2学期になったら全然行かず、休むにつれて授業がわからず行ってもしょうがないというようになる。以後、数学の表彰状を渡すから出て来いと言っても行かず、留年。自分と同学年の人達が3年になる時、本人は3月31日迄待ってくれと言うのだが、先生達は10日迄に退学せよとばかりに迫り、嫌々退学させられる。そして、退学届に心身症のためと書くと、家庭の都合と書き直せと言ってくる(学校いわく、普通の人でもおかしくなるから、退学して学校のことは忘れろと言う)。
 中学を卒業してから保健センターへ通ったが、そのうち本人は行かず私だけが話しに行く。
1、 今でも自分の気にいらないと暴力をふるい、近くのものを壊す。自分は布団の中で人に命令している。
2、 電話は2年位前にやっと出れるようになったが自分からはかけれず。
3、 自分の気に入らないテレビ番組を見ていると、馬鹿になるから消せと文句を言って消しに来る。そして自分は変な番組を見ている。
4、 主人と話をしていても、割込んできては反対し私の頭を叩く。人の頭は冗談でも叩いてはだめだよと注意するが、ダメ。
5、 何でも俺に話をせよ、そうでないと坐り込むぞと言う。これはバイクを入れるのに物置を少し直す話を業者としていたのです。このように日常のことにいちいち口を挟み、自分のことは何もせず考えずこのままでいいと言っている。
6、 買物して来ると袋の中を覗き、日常の道具はこれはいらんから捨てるぞと言って処分しようとする(自分のものでない)。
7、 1つのことにこだわるので何べんも同じことを言う。家の中を時々、独り言を言って歩き回るし、物を置くにもまるで壊れ物を扱うようなやり方。新聞記事を見て興奮し、反論して歩きながらぶつぷつ言っている。時には畳を叩いている時もある。
8、 すぐに興奮するので、殴ったり、壊したり、その時は自分は痛くないのではないかと思う(手が体が)。
9、 水を使って洗う時は、念が入り過ぎているので自分は洗はず、人にやらせてからそれを又洗う。人の気持ちなんか考えたことないのではないかと思う。人が仕事をして手が離せなくても自分は布団の中から命令し、こっちが聞かないと怒り出す。
10、 私が時々間違えることがあると、母ちゃんしっかりせーよと言う。自分は?
11、 自分は何もわからんくせに決めつけてくる。本当に、何も知らない。
12、 現在は家の中、昆虫のことになると夢中になる。夏になると一遍だけ山梨の昆虫の会から手紙が来るので、その時だけ出かける。1回目はビジネスホテルヘ1泊。2回目は行きと明<る日2泊して来たが、風呂へは入らず。
13、 私が帽子をかぷると気に入らん、やめろと文句を言う。人の勝手でしょうと言うと文句を言わんとヘエコラしていることになるから、言うのだとのこと。
 だいたいのことを書きましたが、まだ望みはあるでしょうか。とにかく私が憎くてたまらないのです。そういう感じですので何でも反対します。お願いできるでしょうか。
 主人は自分から動こうとしません」
 明男君は、そういう状態で入って来たわけです。もちろん、私は受け入れました。入校して来たその日に、明男君は坊主になりました。坊主にする理由を、こちらはくどくどと説明しません。する必要もないでしょう。彼に必要なのは、まず有無を言わさず立ち塞がってくる壁を見せることです。自分で越えなければならない壁を目の前に作ってあげることです。文句を言えば、それが吸取紙のように吸収されてしまう母親的存在ではなく、手ひどく跳ね返ってくる厳しい他人(大人)なのです。