V章 問題児の親たち (後)
子供が小さければ小さいほど、父=父権は、精神的な柱です
父親が決断から逃げれば、家族はそれを見てよけいに不安になる
■手紙D――弘君の父親(地方公務員)からの報告 「前略突然のお手紙にて失礼申し上げます。私どもは結婚約17年、夫婦の間に高校1年の長男と中学3年の次男がありますが、ヨットスクールのお世話になりたいと申しますのは、その次男の弘でございます。何のために、この手紙を引用しているか、一言だけ言っておくと、この父親の"迷い""逡巡"ぶりを指摘したいからです。この父親は大学を優秀な成績で卒業し、公務員になりました。その後も、順調に出世街道を歩いてきた人です。同期の人達に決して遅れをとることなく、先頭集団を形成しています。マイホームも建て、2人の子供にも恵まれました。このまま、何も起きなければ順風満帆の人生といえるでしょう。
昨年秋、すなわち中学2年に在学中の2学期から素行が乱れ、契煙、無断外泊、登校拒否、万引きなどの非行を次々に行い、3年生になって間もなくの本年5月、校内でグループの友人2名と共に他の友人に暴行を働き、傷を負わせ、ついに警察の補導を受けるに至りました。
さすがに本人もその時は反省し、立ち直りたいと申しますので、それにはグループとの関係を断ち切り、環境を変えることが第1と思い、たまたま私の友人で都内において私塾を経営しているA氏の勧めもあって、弘をA氏宅に寄宿させ、そこから近くの中学に通わせようとしましたが、親と同居なしでは入学を許さないという制度に阻まれ、通学できないままA氏の塾で指導を受けるという生活が始まりました。
しかし、生来、意志の弱い当人のこと、学校へ行かないために友人もできず、親元を離れての生活に耐えられなくなったのか1ヵ月ばかりで白毛へ逃げ帰ってきたのです。
今思えば、私どもも信念に欠けていたことになるのでしょうが、折から、子供はあくまで親が手元で育てるべきだという警察の注意は私どもを動揺させ、今度は妻の親戚の近くに、アパートの1室を借りて妻と弘が住み、そこから中学校へ通学させる運びとなりました。
言うまでもなく、父親の私も居を移すのが自然の姿でありますが、そうなると高校へ入学したばかりの長男への配慮がおろそかになります。長男の方は一応、健全な学校生活を続けておりますが、気持ちの不安定の年頃ゆえ、転校はもちろん、東京からは遠距離になる(地元の高校への)通学を無理に勧めるわけにはいきません。
そこで父は自宅に留まり、主として兄の世話をする、時には交代して弟の方も面倒を見るといった一家二分の生活が始まりました……」
明らかなのは、この父親が、うろたえ、迷ったということです。まず、都内の友人を頼ります。子供にとって完璧な父=父権が必要であり、母=母権が必要です
「弘の新しい学校は、問題児も少ないせいか、また当人もその頃多少の意欲もあったせいか、この方針は成功したように見えました。紆余曲折を経て、弘君の父親はヨットスクールへの入校を考え始めたわけです。
夏休みに入ってからもプールでクロールの特訓を受けたり、夏期講座に通ったりして、この分なら来春には都立高校に進学できると夫婦で喜んでおりました。ところが2学期、9月下旬になりますと、再び様子がおかしくなったのです。やはり、2年生の後半から全く勉強しなくなった学力のギャップはいかんともしがたく、学習意欲をすっかり消失させてしまったことに始まり、10月中旬以降は下校の途中で寄り道して帰宅が遅くなることも多くなりました。
もちろん、私ども両親も心配して再三、注意しましたが、一向に直りません。転校生ということで、当初は友達ができず淋しがっていたのが、校内でも数少ない問題児達との交友が生まれ、さらには同傾向の卒業生の輩下に入るようになったのです。
11月になってからは、テストで偏差値がついに39まで下がり(いい時は46ありました)、授業中の態度も悪いため、先生からこのままでは高校進学はとうてい無理と宣告されるに至りました。そう言われても、本人は発奮するどころかますます自棄の態度をとり、進学は完全に諦め就職を口にするようになりました。生活は旧に復し、頭髪にパーマをかけたツッパリ・スタイルで学校ではひんしゅくを買い、下校後は例の先輩、仲間達と遊び続けております。
担任の先生は、家族二分の生活に一因があるから一緒になるべきだと言われ、確かにそれももっともと思われますが、その実現のためには、前述の長男への影響をはじめいくつかの障害があります。たとえ強行したとしても、今となっては弘の生活を軌道に戻すのは困難でしょう。
私どもも、勉強の嫌いな者を無理やり高校に進学させるつもりはありませんが、就職するにしても、何一つ得意なものはありませんし、現在の態度と身についた怠け癖では、到底長続きが望めません。そして、そのうち警察沙汰になるような事件を起こすことも十分考えられます。
そこで夫婦が協議の末に結論に達したのは、いわゆる"甘えの構造"をどうしても断ち切らなければならないということでした。
かつて、A氏宅への寄宿という方法は、他人に子供を預けるという親の無責任ではないかという警察の意見もあって挫折したのですが、最近は弘の将来のため、たくましさを植えつけるためには、親元を離れて苦労させることが、むしろ真の愛情ではないかと考えるようになり、そこで注目したのが貴スクールのことであり、ここならば弘も更生できるのではないかと思ったのでございます……」
■手紙E――小学校2年生の男の子を持つ母親からの報告小さい時子供にかまい過ぎ、これではいけないと、この母親は方針を変えます。そうすると、今度は子供が素直さを失った。そこでこの母親はまた悩むのです。
「前略、小学校2年生の男子のことで御願いがございます。
小学校1年の時、学校には何とか行きましたが毎朝泣いて、ぐずってなかなか行けないし、ちょっとしたことですぐ怒ったり泣いたり、4歳の弟や1歳の妹に乱暴をしていけませんでした。
今は学校に通っていますが、怒ったり泣いたり乱暴したりは相変わらずです。その上、母親に対してはちょっと気に入らなければ"バカ、アホ"と怒鳴ります。その上、自分のしたいようにしかしなくて、何を言ってもなかなか聞きません。今、考えますと小さい時の育て方が間違っていたような気がしてなりません。3歳まではいつも一緒に遊んでいまして、かまってばかりしてました。そのうち何も1人ではできなくなり、いつも親のそばばかりにいて離れず、1人遊びが全然できませんでした。
近所の子供を見て、あまりに違っていることに気がつき、かまってばかりいてはいけないと、無理やり親から離しました。親はなくとも子は育つという言葉をその時思い出したの如く、なるべく私はそばにつかないようにし、1人で何でもしなさい、遊びに行きなさいと突き放していました。
乱暴をし、母親に暴言をはくのは、愛情を求めているようでもあり、親の愛情を確かめているような気もするのです。人とうまく混じって遊べないし、何でもすぐ人に頼り、うまくいかないとぐずり泣き、怒ったりするものですから、なるべく言うことは聞いてやらなければいけないと思うのですが、何でもハイハイとそばについてしてやるわけにもいきません。
"まわりの人の態度を変えてやればよくなる。自信をつけてやりなさい"と言われ、できるだけそのようにしようとは思いますが、1度できあがった性格はなかなか直りそうもありません。
ヨットで自分のことは自分でできるという自信がつけば、少しは落ちついて他の人のことも考えられるのではないかと思いますが、まだ親の愛情を求めているのであれば、返って気持ちがこじれるような気も致します。
どちらで相談致しましても、抽象的な回答しか頂けず、幼年期の育て方が一生を左右するという話を聞いたりしますと、育て方に失敗したものはもう救われないのでしょうか。自分のことを考えますと、一生懸命育てても、失敗に後から気づくのであれば、もしそれに気づいた時はどうしたらよいのでしょうか。
学校には行きますが、一種の情緒障害のような気がしてなりません。子供をこんなふうにしたのは、母親である私の責任です。今、ヨットに出すことは子供から逃げることになるような気が致しますが、このままでは親子共倒れになりそうです。
追伸、1番問題なのは、親子の正常なつながりがないことです。私自身、どのように接してよいかわからず、親としての愛情がないようです。なるべく優しい言葉をかけてやらなければと思うのですが、スムーズに会話ができなくて、何かぎくしゃくしているのです。子供に愛情が持てないでは、いくら訓練して頂いても無駄でしょうね。
夜、怯えたように泣いて寝言を言うことがよくあります。余程、今まで苦しんできたのではないかと思うと、私自身、苦しくて生きた気持ちが致しません」