V章 問題児の親たち (前)


スクールはコーチたちの犠牲的努力のおかげで成り立っている


 ある日のことです。  戸塚ヨットスクールの前に黒塗りのベンツが静かに横づけされました。
 運転手が慌しく飛び出し、クルマの後ろを回って後部ドアに駆けつけます。両手でドアの取っ手に手をかけ、うやうやしくドアを開けると、1人のかっぷくのいい紳士が降りて来ました。
 そういう形で、我がヨットスクールを訪問してくる紳士が、初めてだったわけではありません。運転手つきのクルマで乗りつけ、私が会って話を聞き始めると、押し出しのきいた体つきとはうってかわって、自信のなさそうな、落ちつかない目で自分の子供のことを語り出す。そんなことが幾度もありました。
 ところが、その日の"紳士"は、ちょっと違ったのです。
 彼は、自分の子供をしばらく預けたいのだと言いました。そして名刺を差し出すのです。建築会社の名前が書いてあり、肩書きには「代表取締役社長」と印刷されています。名前を聞けば誰でも知っているような、そういう大きな会社ではありません。
 「いやあもう、会社といっても小さなもので、私なんぞ社長といっても、とにかく苦労ばかりですよ。仕事のしんどいところを一手に引き受けているようなもので……」
 そう言って一息つくと、実は1つ、お願いがありましてと、声をひそめて言うのです。
 「ヨットスクールの、その費用のことなんですが、まあ、これだけの設備を揃えてやっていらっしゃるわけですし、子供は毎日3食食べながらトレーニングを受けさせて頂ける、簡単なことではないと思うのですが、実は、何とか少し、費用をですね、まけてもらえないかと……」
 そこまで聞いて、私は少なからずア然としました。
 この人は、どういう神経を持っているのか――。
 戸塚ヨットスクールの入校金、合宿参加費は「入校案内」にも書いてありますが、ここでも紹介しておくと、まず「入校金」が50万円。合宿参加費は1日1万円。その他、冬期であるならばウエットスーツ代3万円。ヘルメット、ライフ・ジャケット等の安全備品は無料で貸与しています。その他、健康診断料(入った翌日に健康診断を受けさせます)として1万円――といったところです(編集注:現在とは異なる)。
 決して低廉であるとは思いません。
 しかし、常時13人のコーチが24時間つきっきりで、子供達を監督しています。そのコーチ達にも、今のところ毎月約20万円程の給料しか支払えません。なぜかと言えば、ヨットスクールの管理、維持にかなりの金が必要だからです。事務所員や給食員の手当もあります。生徒、職員合わせて100名近い大所帯をやりくりしていくのにかなりの経費が必要です。"鬼のヨットスクール"といっても、雲や霞を食ってはやっていけません。むしろ、コーチをはじめとする職員には、色々な意味での悪条件に耐えてもらっています。ヨットスクールは、彼らの犠牲的努力のおかげで成り立っているというのが実情です。
 訓練用のヨットは、特注品です。それが、子供達1人に1台程度は揃えてあります。1度買えば半永久的に使えるものでもありません。ベテランのヨットマンが乗るわけではないのですから、操作ミスによって破損することは、しばしばあります。部品交換は日常茶飯事です。1枚10万円もするセールも、1回の訓練で1枚ぐらいの割合で破れてしまいます。激しい訓練をするのですから、ヨットの消耗する度合いも当然激しくなります。ヨットは未だに大量生産されている商品ではないし、ステンレス製の物が多く部品も高くつきます。
 また、子供達の食事の程度を低くすることはできません。さらに、母子家庭や特別な事情がある場合、私は1日1万円の合宿参加費をとりません。家計にかかる負担のことを思えば、とれません。卒業までの期間は、当面の目標として3か月ということになっていますが、長引く場合もあります。長引けばそれだけ参加費がかかることになります。しかし、予定より長引いたからといって、最初の3か月間と同じように親から徴収するわけにもいきません。明快な規定はありませんが、私は3か月を過ぎた場合、6か月までは参加費をとらず、せいぜい食費ぐらいを貰うことにしています。しかし、親が子供を見限ったり、逆に子供が親の元に帰りたがらない場合には、お金をとることができません。私が面倒を見ています。
 そういう中で、ヨットスクールを経営しているわけです。
 その日のかっぷくのいい、ベンツに乗ってやって来た"紳士"に、費用をまけてくれと言われて、ア然とするのも無理はないと思うのです。私はその申し出を断りました。どうしてもと言うなら、まずあなたの乗っているそのクルマを売るべきでしょうと、私は言ってやりたくなったものです。



弱い父親と強い母親の組み合わせが、問題児たちに共通している


 また、こういう父親もいました。
 その父親もやはり社会的地位のある人物です。職業は医師。年齢は40代の半ばといったところです。彼もまた、大きなクルマに乗ってやって来ました。そのクルマから降り立ったのは父親だけではありません。カバンを持った秘書らしき人物も一緒です。
 面と向かうと、父親はあいさつをし、本題に入ると、秘書が語り出すのです。こうこうこういう事情……。その話を聞きながら、父親の方は、ただ頷くばかり。ちょっと待ちなさいよ、と私は言いました。
「お父さん、私はあなた自身の口から話を聞きたい。秘書にクルマで待つように言って下さい」
 父親は、驚いたような顔をしていました。そして当の父親が話し出すと、何とも要領を得ないのです。子供のこと、母親のことをあれこれ語るのですが、それであなたとしてはどうしたいのかと聞くと、さっぱり明快な答えが返ってこない。子供をここに入れたいのか、否か。「やはりそこは1度、御相談してですね。私としてはまあ、健全な子供に育てたいと……ウニャ、ムニャ」そういう感じです。
 ある会社社長も、秘書を連れて来ました。こまねずみのように、ちょこまかと社長にくっついて歩くタイプの秘書です。社長がタバコをくわえれば、サッと火をつける。社長がキミ、あれを出してと言えばカバンの中から不思議と社長の望むものが出てくるのです。
 この社長も、話がポイントにさしかかると口数が少なくなり、その代わり秘書が私に向かって説明するのです。社長は、ヨロシク、頼ムヨ、君、といった顔で私を見るばかりです。
 いったい、この人達の家庭はどうなっているのか。心細い限りです。
 子供が、大変なピンチを迎えているわけです。すくすくと素直に育つことができず、心をねじまげてしまっている。その原因がそもそもどこにあったのか、この親達は考えたことがあるのだろうか。少なくとも、子供に対して父親のなすべきことをしたのか、大いに疑問を感じざるをえないのです。
 ヨットスクールに子供を預けに来る親を何百組も見ていると、そのほぽ全員に共通した点があることに気づきます。
 大きく分けて、特徴は2つあります。
 その第1は「弱い父親」ということです。性格的な弱さというだけではありません。社会に出れば、彼らは一応一人前の仕事をしているのです。一人前以上の仕事を成し遂げている人もいます。しかし、こと家庭のことになると、弱さをさらけ出します。家庭での存在感が薄いのです。時には、家庭での役割を放棄している場合もあります。
 妻が主導権を握り、その妻のやり方に不満は持っているのだが、それを強く主張しない。
「あなたは子供のことなど何もわかっていないのだから口出ししないで下さい!」
 妻にそう言われると、もう黙りこくってしまう父親は少なくありません。1度、引き下がったら最後、父親は家庭での主導権を失います。失ったあげく、問題が大きく傷口を広げた時に悩み、うろたえるのです。
 親の第2の特徴は、今のことから当然のように導き出されてきます。
 即ち、「(家庭内で)強い母親」です。きょう慢な母親と言ってもいいでしょう。
 その父親と母親の組み合わせは、不思議と、多くの子供達に共通しているのです。
 前章で、ある母親からの手紙を紹介しました。その末尾にこう書かれていたのを覚えておられるでしよう。
「夫は、動こうとはしません」
 あの、長い手紙の中で「夫」という言葉が出てきたのはそれ1回きりです。母親が書いた手紙だからという事情もありますが、我が子の教育問題の悩みを打ち明けるのに、家庭内の最も重要な柱である「主人=父親」の影があまりに薄いことに、驚かざるをえません。
 母親のみが、子供に没入してしまっているが如くです。それを父親が力なく、呆然と見つめているのです。"父権の喪失"――そのことを、どうしても問題にせざるをえなくなります。ヨットスクールの教育を考える際にも現代における"父権の喪失"というテーマは重要です。



社会的地位の高い父親の家庭から火の手があがるケースが多い


 ここで何通か手紙を紹介しましょう。いずれも、父兄から私宛に書かれたものです。
 前章から引き続けば、次の手紙が第3の手紙になります。第3の手紙は、子供(と言っても20代の半ばを過ぎた青年ですが)の姉が書いてきたものです。なぜ、父親でも母親でもなく、姉が書いてきたのか。読み進むうちにわかります。この家族は5人姉弟。4人の姉と弟1人という構成です。上から2番目の姉が、末弟のことについて次のように書いてきました。
■手紙B――本人の姉からの報告
 「突然お手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。もう、どうしてよいか途方にくれ、家中がノイローゼ気味でございますので思いあまってペンをとりました。
 実は弟のことでございます。弟は県立高校を卒業後、近くの町の中小企業に勤めましたが4年程で2回程会社を替わりました。本人は東京に出て働くことを希望したのですが、一人息子なので母の強い反対に会い断念したようです。そして3回目にある大手企業に勤めたのですが、ここも半年ぐらいで辞めました。その頃から少し、弟がおかしくなってきたのです。女ばかりの兄弟と、生活することの全てにおいてだらしのない母と、おとなしいだけの父。誰にも相談できず1人で悩んでいたらしいのですが、痔の病気があったらしいのです。ひどくなり、近くの医者に通ったのですが治療が思わしくなく、次に他の病院で手術を受けました。それも結果が悪く、仕事をすると手足がしぴれるとか、立っていることがつらいと言い、会社を辞めてしまいました。
 上司が心配して、家まで来て説得しても大声でどなり散らし、帰らしたそうです。それまでのおとなしい弟からは想像もできませんでした。
 前後して、交際していた女友達とも別れたそうです。その頃からおかしなことを言うようになりました。私の家では、どの子供も自分の生活のことを両親に話すことは全くありません。とても相談できる両親ではないのです。
 ある日、弟が急に真剣な顔をして言うのです。Aさん(弟を、実の弟のように可愛がってくれた人)の奥さんが俺のことを好きだと言ってAと別れると言っている。Aさんの家では今そのことで大騒動が起きている。自分もAさんの奥さんが好きだから、子供2人は自分で引き取り、結婚しようと思う……。両親はびっくりして、とにかく父と一緒にAさんの実家に来るように言われているからと言って、弟は父と一緒に出かけて行きました。父が事情を説明すると、相手はきつねにつままれた様子でぴっくりし、息子夫婦は円満でそんなことはない、おかしなことは言わないで欲しい。父は大恥をかいたと言っていました。弟の妄想らしかったのです。
 でも、おとなしいだけの父と、口だけうるさく1人では何もできない母は、オロオロするだけで私達にもこのことは伏せて、弟には、腫れ物に触るようにそっとしておきました。そしてこのことはAさん夫婦には絶対だまっているようにとの話だったのですが、いつか弟の友達に知れ渡り、毎日2、3人、多い時は7、8人も遊びに来ていた友達は、ばったり来なくなりました。そしてあいつは頭がおかしくなったという噂が広まってしまいました。私達家族も、弟が頭がおかしくなったなどと思うのが嫌で、そっとしておいて気持ちが落ちつけば、又、元のようになると、無理に信じてそっとしておきました。
 ところが弟は家に閉じこもり、一歩も外に出なくなりました。毎日、テレビとレコードだけです。私達もできるだけ説得をし、励ましたり、色々したのですが、人を馬鹿にしたような笑いをし、強く言うと目を吊り上げて怒り出すのです。母は2回ほど首を絞められたそうです。父は、強く叱ることはせず、オロオロするだけです。
 そして、病気の経過が悪く、働けないの一点ばりの弟に、とにかくもう1度、医者に診てもらうように言っても、もう生きているのが不思議と言われているんだとか、手足がしびれて仕事など出来ないとか、俺の体をこんなにして、あの医者から慰謝料をとってやるなどと言うのです。父は勤めに出ていて、弟は母といつも2人だけになります(注・姉達は皆嫁いでいる)」
 ここら辺までが、本人の現状を説明してあり、その次に手紙の主は、両親のことをこと細かに書いてきます。
 「……母は本当に、全てにとてもだらしなく頼りにならない人なのです。一人娘で父を婿養子にもらったのですが、母の父親は母が27歳の時に亡くなり、実母と暮らしていたのですが、とにかく仲が悪く、実の母子であんなに仲の悪いのを未だに私は見たことがありません。祖母は10年前他界しましたが、町中の人々、誰一人知らぬ者はない程(祖母と母は)1日中、喧嘩ばかりしていました。私達はもの心ついてから2人が仲良く話をしているのを見たことがありません。口喧嘩だけならまだしも、取っ組み合いの喧嘩も再三でした。おとなしいだけの父はいつも黙っているだけなのです。
 それに家はひどく貧乏でしたのに、母は掃除も洗濯も、台所仕事もほとんどきちんと出来ず、買い物にも1人では行けないのです。生活に必要なことは全て父がしました。母は1人では何もできないのにグチばかり多く、別に働くわけでなく、いつもお金に困っていました。小学生だった私や妹はよく質店へ行かされ、母は物影から私達がお金に換えてくるのを待っているのです……」
 手紙は、まだまだ長文のものですが、ここら辺でカットします。
 この姉は、弟を精神病院に連れて行きました。その結果、初期の分裂病ではないかという診断を下されたようです。にもかかわらずあえて、戸塚ヨットスクールに入れたいと言ってきたのです。
 この例は、親の問題を考える上で一般的ではないかもしれませんが、例外的ケースだとは言えません。この家族が住んでいたのは、都会から少し離れた郊外です。両親が結婚した頃は、まだ農村だったはずです。そういう所で"ムコ養子"として入ってきた父親の弱さ、母親のきょう慢さが、子供の背景として見えてきます。
 もう1つ、例を挙げましょう。
 ここで問題になっているのは、高校生の女の子です。登校拒否から非行へとエスカレートしていきました。その問題を抱えたのは、ある都市に住む開業医夫婦です。何人もの医師、看護婦を使いながら個人病院を経営する父親。年齢は、まだ50歳前です。現代では、間違いなく成功した部類でしょう。
 エリート・サラリーマン、医師、弁護士……。こういった社会的地位の高い父親の家庭から情緒障害児問題の火の手が上がるケースは、しばしばあります。いやむしろ、そうした家庭につきものだ、という気すらします。ヨットスクールには、いわゆる社会的名士とされている親を持つ子供達が、驚くほど大勢入学してきています。実名を出せばすぐにわかる人が何人もいます。社会的尊敬を得、経済的に豊かな家庭ほど……、と思えるくらいです。
 なぜか?それを考える前に、まず、この開業医からの手紙を紹介しましょう。
■手紙C――登校拒否、非行の娘を持った父親(都市に住む開業医)からの報告
 「先日はご多忙の折、ご親切にご指導頂き、本当に有難うございました。戸塚スクールを訪問し、校長、コーチの方々の、曲がった子供の心を根本的に叩き直す精力的な姿を見てただただ感銘し、我が子を鍛え直すにはここしかないと思った次第です。
 小生、出来るだけ子供と接し、家族ぐるみの生活をしたいと思いつつも、つい仕事に追われ、又、職業柄、昼夜を問いませんので、つい接する機会が遠のき、それに拍車をかける如く母親が"無頓着"で、子供に対する愛情がないため放任してしまい、小生に子供のことに対しては一切相談なく、、言えば怒られるのではないかと相談どころか"かくす"様になり、小生が気がついた時には、既に登校拒否→非行の道へと歩んでいました。
 中学2年の後半より登校拒否が始まったようで、まだこの頃は自分の都合で学校へ行ったり休んだりしていたようです。学校の先生が迎えに来たりしていましたので、小生、わかった次第です。
 そして中学3年になっても、学校へ行ったり行かなかったりが続き、さて高校進学となり私立の女子校へ入学させたのですがやはり勉強に遅れをとったためか、出て行ってもわからないから行かなくなる。行かなくなるから悪の道へと入っていき、自分勝手な行動をとるに至ったものです。
 小生は出来るだけヒザを交えて話をするのですが、その前では素直に聞いているのですが、又、翌日から同じ行動をしています。
 小生がびっくりしたのは、暴走族とのつきあいがあると感じた時です。仕事をしているのでわからないのですが、男から電話がかかっては出て行く、又、自分勝手に電話をしては喫茶店ヘアルバイトに行く、男の家へ外泊する。小生が怒れば、しばらくはじっとしているが、又、目を盗んでは外泊するといったケースが続いているようです……」
 というのが、この女の子の非行のあらましで、この医師が頭を痛めているのは、実はそのことだけではないことが、この後に続く話から見えてきます。
 「……これから述べることは御想像しにくいかと思いますが――。そのような男からの電話が入ったりしても何も言わないどころか、その男の所へ外泊している子供を迎えに行ったり、又、喫茶店への送り迎えをしている"家内"がいるということです。
 男の言う意見を尊重し、私が娘のことを心配して、相手の男の住所でも電話でもよいから教えてくれと家内に言っても、知っていても知らぬ、存ぜぬの一点ばりです。このことは病院の電話ではなく、家内と子供専用の電話があり、あまりにも心配になったのでチーフに盗み取りしてとったためにわかったことです。
 それからというものは、もうどうしてよいやらわからなくなってしまい、夜も寝つかれず、悩み続けました。  やっと小生の決心が決まり、このままにしておいたら、いや、母親のそばにおいておいたらと思ったら、子供の将来のことを考えたら、身震いしてきました。
 子供を鍛え直すには、スパルタしかない。それも両親の元では出来ない。そう思って子供をお任せする次第です。
 素直ないい子だったのですが、髪はパーマをかけ、服装も乱れてきました。優柔不断なところがあり、決断しにくいという欠点があります。特に病気といえば、中耳炎があり、だらたらしているから風邪をひきやすいといった程度です」
 といって、娘のことをよろしく頼むと書いているのですが、この医師は最後にもう1つ、こう書いてきています。
 「母親(家内)もそちらで炊事などで厳しくして欲しいところですが、だめでしょうか……」
 この父親の手紙の、最後の一言に、彼の家庭の真の姿がかいま見えるような気がします。
 ここで問題になっている女の子は、この手紙が届いて間もなく、ヨットスクールに入って来ました。髪を染めていました。上目づかいで、私を見つめていました。
 すぐにヨットスクールの方法でトレーニングを開始しました。顔の表情が変わってくるのに、長い時間はかかりませんでした。このことはまた後で詳しく書くつもりですが、子供達の表情は入って来た直後から急激に変わり始めます。四六時中、眉間にしわを刻んでいた子供から、目と目の間の深いしわが消えていき、表情は明るさを取り戻していきます。アゴを突き上げ、やや下向き気味の視線でそこいらを歩いていた非行少年の目が上を向き、丸くなっていくのです。
 この少女は、3か月もかからず、丸い瞳を取り戻しました。