Z章 子離れできない親たち


脱走したがる子供は、訓練でも"ハイ!ハイ!"と返事がいい


 ヨットスクールの、あるベテラン・コーチがこんな風に言ったことがあります。
「ここで毎日、子供達と付き合っていると、テレビなんかいらんね」
 私にも、その気持ちがわかります。
 早朝からのトレーニングですっかり疲れきってしまい、テレビを見る余裕もなく眠り込んでしまうというのではありません。ヨットスクールでは、毎日様々な出来事が起こります。昨日と今日が同じだったということがほとんどなし、毎日新たな事態が私達の目の前に現われてくるのです。
「テレビなんか見てるより、こっちの現実の方がずっと生き生きしとる。おもしろいって言えば語弊があるけど、朝、起きる度に今日は誰が何をやらかすかなって思う。そういう日常になっているんだよな」
 コーチはそう言って、ため息をつくのでした。
 ヨットスクールに入って来た子供は、まず、ショックを受けます。何らショックを受けずにすんなりと溶け込む子供は1人としていないはずです。
 ここほど厳しい生活を強いる場所は、他にはないでしょう。
 私達は、口うるさいことは言いません。例えば、朝、コーチと顔を合わせた時のあいさつがなっていなかったとか、態度が悪いとか、そういうことで子供達を叱ることはしません。ここは大学の運動部ではありません。人間にとって、きちっとあいさつをするだの何だのというようなことより、もっと大切なことがあります。外面だけを取り繕ってみても、どうにもなりません。
 その代わりに、中身の濃い訓練を課すことは、既に紹介した通りです。
 その厳しさにショックを受け、毎日、毎日しごかれる中で、子供は何とかして、そこから逃れる方法はないかと考えます。最初はコーチの目が届いていないだろうと思われるところで、練習をサボろうとします。これも一種の逃げです。サボることに対しては、私達は強い態度で臨みます。1度このヨットスクールの訓練を甘くみれば、その子供は徐々にこちらをなめてきます。こんな所に入れられたって、ちょっと要領よくやればチョロイもんさと、考えるようになるからです。ヨットスクールに来る前、彼らにとって社会が甘く見えたのと同様、ここも甘く見ようとするわけです。1度そのクセがつくと、その固定観念を壊すのに時間がかかります。それゆえ、私達は一瞬たりとも気を緩めません。
 逃避するのではなく、与えられた環境の中で前向きに問題を解決するようにならなければいけないわけです。
 子供達は、それに抵抗を試みます。
 浅知恵も働かせます。
 自分がなまじっか動けるからこんなに厳しいトレーニングをやらされるのだ、だったらいっそ動けなくなってしまえばいい……。そう考えてメシも食わず、コロンと倒れてしまう子供もいます。
 これはしかし、あまりの空腹に耐えかねてやがて元に戻ります。
 仮病を使う場合もあります。
 それを認めないために、あらかじめ健康診断をしておくわけです。本当に体の調子か悪いのか、仮病を使っているのか。その判断がつきにくい場合は病院へ連れて行き医者にみせます。特に問題がなく、仮病を使っていることがわかれば、よりいっそう厳しく対処します。逃れることはできない、後ろ向きにではなく前向きに前進しなければ、問題は1つも解決しないのだということを、具体的に、物理的に立ちはだかる壁を作って見せてあげなければいけません。
 状況からの逃避は、最終的には"脱走"という形をとります。
 脱走劇は、しばしば起こります。
 私達は、それを不思議だとは思いません。誰だって、つらいところからは逃げたいものです。冬の朝、いつまでもあのぬくぬくしたふとんにくるまっていたいと、たいていの人は思うでしょう。起きるのはつらい。しかし、起き上がって出かけていかなければ、自分がますます窮地に追い込まれるのです。それを知っているから、普通の人はふとんの中でじっと息を潜めていようとは思いません。結局のところ、つらさを避ければそのツケがまわってくるわけです。だから、前向きになる。
 ある週刊誌に戸塚ヨットスクールから脱走した子供のコメントが載っていました。
「計画は3人で立てた。だけど途中で見つかって、かわいそうだけど1人は見殺しにしてきた。あそこで教えられた通り、自分のことだけを考えて逃げたんだ」
 そう書かれていました。
 その記事の冒頭には、私が遠州灘沖で遭難した時、仲間のクルーを見放して1人助かったことが書かれていました。その記事を書いた記者は、脱走した子供のコメントを記事の末尾に書いています。恐らく、私に対する精一杯の皮肉のつもりだったのでしょう。
 しかし、この記者の頭は自分で思っている程よくない。そのことに気づいていなければ、よほどしっかりしてもらわなけれぱ困ります。
 なぜなら、脱走・脱出という行為には2種類あるからです。例えば、政治犯が獄につながれているとしましょう。彼が自分の政治的信念に基づいてそこを脱け出し新たな闘いをしようとする場合。あるいは、スティーブ・マックイーンの主演映画『大脱走』のように、戦争による捕虜が祖国のため、あるいは自由を求めるため敵の管理下から脱け出す場合。これらはいずれも人間の第3の本能、つまり進歩欲求に裏うちされた行為です。その状況から"逃避"する行為ではありません。
 それに対して、ヨットスクールから脱走したがる子供達は、状況それ自体から逃げているのです。冬の朝、ずっと温かいふとんの中にいたいと頑張っているのです。その行為と私の遭難体験とを同一線上に並べて皮肉の1つも言おうというのは、考えてみれば実にセコい知性の産物ではありませんか。皮肉はとぎすまされた知性から生み出されて、初めて人の心を打ちます。
 それはさておき――
 ヨットスクールにやって来て、そこでも気持ちを後ろに向けがちな子供は脱走を考えるわけです。
 ある子供、といっても19歳になっていた男の子ですが、彼はコーチ達の目を盗んでヨットスクールを脱け出し、警察に駆け込みました。
 そこで、こう言ったというのです。
 「僕を捕まえて下さい。僕は覚醒剤をやっていました。つかまえる理由があるでしょう」
 警察はあれこれと本人から事情を聞きましたが、本人がそう言っているからといって逮捕するわけにもいかない。ヨットスクールから逃げて来たらしいことがわかったから本人の家族に電話をした。このケースでは親が毅然とした態度をとってくれました。
「その子供は、理由があって戸塚ヨットスクールに預けているんです。ヨットスクールに戻して下さい」
 警察は私達に連絡をしてきました。
 脱走したがる子供は外ゾラがいいという共通点があります。
 ヨット訓練でも"ハイ!ハイ!"と、実にこちらの言うことをよく聞くのです。何を言っても"ハイ、やります"返事だけはよくて、実際やることといえばちゃらんぽらん。その場その場をごまかしていけば何とかなるというタイプです。常に目の前の問題から逃げようとしているわけです。



逃げたい気持ちと、何かをつかみたい気持ちの両方が、子供にはある


 脱走の例をもう1つ挙げてみましょう。名前を仮にD君と名づけておきます。Dがヨットスクールに入って来たのは中学2年生の時です。
 父親が何とかしてくれと言って連れて来たのです。理由は「手がつけられない程の非行」でした。Dは大阪で生まれ、育ち、中学に入った頃から地元のヤクザと付き合いがありました。その仲間に入っても、することといえば要するにチンピラです。暴行、恐喝、盗み……。たいていのことは一通りやり、たまりかねて親か私に連絡を取ってきました。
 入って来た時のDの表情はよく覚えています。不敵なツラ構えをしていました。おどおどしたところはみじんもなく、騒ぎたてることもなく、目は座りながらもおとなしいのです。これは本格的なワルだなと思わせる雰囲気を持っていました。
 すばしっこく街をかけずり回っていた男ですから運動神経はよかった。朝の柔軟体操でもネをあげず、ヨットを教えれば飲み込みは早い。人並み以上のことをすぐにやってみせるわけです。
 その内に、ひょいと逃げ出したのです。訓練時間中ではなく、皆が寝静まった時刻を狙ったのだと思われます。
 近くを探し、親に連絡を取ったが、まだ戻ってないし連絡もないと言う。警察にそれらしき男が保護されている形跡もない。どこかへ潜り込んだか、昔の仲間のところへでも隠れたかと思っていると、何日か経って本人が電話をしてきました。
「どこにいるんだ?」と聞くと「今、家から電話をかけてる」と言う。そしてこう言うのです。
「オレ、またそこへ行きたいんやけど……」
 家に戻るまでどこで何をしていたのか、はっきりとは語りません。友達の所にいたと言うぐらいです。戻って来た時、私達はかなり厳しい態度で臨みました。
 それからしばらく、また訓練が続き、その内また脱走したのです。
 そして、前回と同じように本人が電話をしてくる。
 それが5回程繰り返されました。何度目かの時、Dはいつもどこへ逃げ込むのかその場所を言いました。友達の所には違いないのでしょうが、Dは付き合いのあるヤクザの事務所というか、たまり場に逃げ込んでいたのです。ならばそこへ迎えに行こうと、コーチ達は出かけて行きました。どういう結果になるかわからない。腹にぶ厚い雑誌を巻いて出て行ったコーチもいました。脱走した直後です。本人がどういう感情になっているかわからない。また、仲間の前から強引に連れ出そうとした時、そこで何が起きるかわからない――。
 その時はDはそのたまり場に姿を現わしませんでした。1度私達にしゃべってしまったので、警戒したわけです。そこまで細心の注意を払って逃げるくせに、必ずまた本人の方から電話してくるのです。1つには、ヨットが好きになっていたということもあると思います。スポーツは決して嫌いではなかった。ヨットスクールに来る前は、テニスをやったこともあれば陸上をやったこともある。ただそれが長続きしないのです。そして街へ出て行き非行を重ねる。その繰り返ししだったようです。
 5度目の脱走の時は私が迎えに行きました。今度こそ途中でつかまえてやらなければ、と考えていました。それまでのように本人が電話をしてくる前につかまえ、こちらのペースに引き込まなければ問題はいっこうに解決しない。私はそう考えたわけです。
 クルマを運転して大阪へ向かいました。繁華街の一角にある、たまり場のすぐ近くにクルマを止めました。そこにDの姿が見えたら、有無を言わさずとにかく連れ帰る。そのつもりでした。周りに仲間がいても、何がなんでも連れ帰ろうと決めていたのです。恐ろしいという気持ちもあります。奴らが何をしでかすかわからない。しかし、それを気にしていたら何もできません。
 私はクルマの中で待ちました。現われません。
 結局、私はクルマの中で1泊しました。さらに待ちました。必ずDはそこに姿を見せるはずだと踏んでいたのです。
 Dはその建物から出て来ました。どうやら別の入口から既に入っていたらしいのです。
「D!」
 クルマから降りるとDはビクッとして振り返りました。逃げるかなと、私は身構えました。走って逃げられたら当然Dの方が足が速い。Dはしかし、立ち止まったのです。逃げようとはしなかった。
「迎えに来たよ、帰ろう」
「しゃあないなぁ」
 それだけで終わりました。
 まさか、あそこにまで迎えに来るとは思っていなかったと、Dは言いました。
 それがDにとっては最後の脱走になったわけです。
 その後、Dはヨットスクールにしばらく居続けました。中学3年はほとんど学校の授業に出ていなかったのですが、卒業だけはできました。卒業して4月が来ても、Dは何となくヨットスクールに居続け、やがて定時制高校に通うと言って大阪へ戻って行きました。定時制の方は結局のところ最後まで続かなかったようですが、仕事は辞めずに続いているようです。
 Dのケースからわかることは、子供にはヨットスクールのしんどさから逃げたいという思いと、続けていって何かをつかみたいという思い、その両方があるということです。
 逃げて家に帰れば叱られる。だからいいと言うまでここにいよう。そういう考え方をする子供もいますが、1度脱走した後でもう1度やり直してみようという子供もいるわけです。
 Dはヨットスクールに抵抗しながらも、かろうじて克服していった例として位置づけられるでしょう。
 そこでポイントになるのは、ここでもまた親の対応です。



親は口を出すな。一度まかせたら、最後まで子供に介入するな


 次に紹介する手紙は、途中でヨットスクールを逃げ出した子供の親から私宛に届いたものです。この親は、逃げ帰って来た子供の話を聞いて迷いました。もう1度ヨットスクールに行かせるべきか、それとももうやめるべきか。私は、今やめれば全てが中途半端になる、もう1度ヨットスクールに来るよう説得しましたが、ダメでした。
 母親は次のように言います。
■手紙H――途中で逃げ出した中学3年生(男)の母親からの報告
 「……その後の子供の状態はあまり良くなく、特に2か月も入れた(ヨットスクールに)ことに対しては非常に不満を持っており、恨んでおります。勉強に対しては12月に入ってから学校へ行った為に、期末試験が受けられず、オール1の評価しかもらえず、高校進学といっても1番悪い工業高校しか受ける事ができず、不良のような子ばかりが願書を出しに来たようで、受ける気もなくしてしまい、勉強する気はヨットから帰って2、3日はあったようですが、たった1週間ほどで冬休みに入ってしまい、冬休み中も何もせず、春、新学期が始まってからも、まるっきりついていけず、全く面白くなかったようで、随分お休みもしました。
 もう卒業などどうでもいいと、すてばちになってしまった時もありましたが、何とかかんとか言ってやったり励ましたり、怒ってみたりで、どうにか無事卒業だけはできましたが、どこの高校へも入れず、今は夜学に行くつもりになっているようですが、ヨットヘ行って少しでも自覚を持ってくれればと思いましたが、この子には無理だったようです。
 所詮、心の病はヨットでは治せるものではありません。ただ外へ出ていくことができたことだけ(注・登校拒否を続けていた子である)。それだけで、家の中では段々とえばり出してきています。
 元々、友達の少ない子でしたので、友達らしい人は1人も居らず、本当に可哀そうなものです。学校へ行き始めて少しの間はよかったようですが、段々と村八分的になってしまったりと、色々悩んでいたようです……。
 ヨットで本当に見違えるように良くなる子供と、家の子のように変わらない子と、色々いるのではないかと思います……。
 2か月は長過ぎたように思われます。返って変な図太さが出てしまい、今ではまた元に戻ってきつつあります。それでも今までのようにまるきり1か月も2か月も家の中に居るという事は恐らくないと思いますが、日曜日などは1日中、家に居ります。とにかくヨットヘ出した時期が悪かったのだと思い、諦めております……」 
 この母親はすっかり落胆してしまっています。
 1つ、明確に書いておくべきでしょう。
 途中でやめさせた場合、事態はもっとこじれてしまうということです。
 子供は、自分から積極的にヨットスクールに来る場合は別として、親に説得されたにせよ、親に無理やり連れて来られたにせよ、何でオレがこんな所で苦しい思いをしなければいけないのかと、当初は親を恨むようになります。そこでもまた、親に責任を押しつけているわけです。
 その感情は私達が口で否定しても変わりません。だから私達は、私達の力で強制的にトレーニングを強いることによって子供達の目を海へ向けるわけです。そうすることによって、すぐに自分がなすべきことを知る子供もいます。甘えてると怒られるんだと悟り、生活態度全般を変えるきっかけを程なくつかむ子供もいます。しかし、それは軽い情緒障害のケースです。多くの子供達の場合、時間がかかります。海でつかんだ体験ががっちりと心に食い込むには、時間が必要なのです。
 私は、一応の目安を3か月と考えています。おおよそ、これくらいの日数をかけると、子供達はヨットスクールという新しい場での体験を血肉化し始めるのです。それが、体験上つかんだ目安です。
 子供によっては、もっと長くかかる場合もあります。予定期間が過ぎれば、エスカレーター式に卒業していくわけではありません。時間の経過がポイントなのではなく、本人がそこで何をつかみ、どう変わっていったかがポイントなのです。
 私は、親に訓練を見せません。1〜2か月経ったところで「面会日」を設定しますが、訓練の場までは見せません。親が見れば、親の心が動揺します。あんなに大変なことをさせられて、○○ちゃんは大丈夫かしら……。それが母親の感情でしょう。その後で、母親はこう思うのです――「かわいそうに。こんなつらい思いをして」
 しかし、親がそんな風に同情したからといって何の役にも立ちません。その同情を訓練途中の子供が感じとれば、子供は親に甘えるでしょう。それでは元も子もありません。
 私達は、子供を親から隔離することに大きな意味があると考えています。これもまた、経験によって知りえたことです。
 親が中途半端に介入することは、決定的に悪い影響を及ぼす。これは間違いありません。
 繰り返し言えば、親の力ではもはやどうにもならなくなったから、他人である私達が子供達の前に立ちはだかっているのです。その子供達と私達の間に親が入り込んだら、その関係は崩れてしまいます。
 子供がどうしてもやめたいと言う。あるいはヨットスクールからの逃避を図る。その時子供は親に向かって、いかに自分がひどい所にいるか語るでしょう。逃避しようとしている子供は逃げて来た所を素晴らしいとは言いません。それを真に受けて親が動揺したのでは何にもならない。
 親は口を出すな。1度任せたのなら最後まで子供に介入するな――私は、そう言い続けています。
 それがヨットトレーニングのノウハウの、最も重要な柱の1つです。
 それでなくとも、情緒障害を抱えている子供達の親は迷いやすいのです。




子離れできない親たちが、目に見えない糸で子供をしばっている


 もう1つ、母親からの手紙を紹介しましょう。この手紙の中で、母親はしきりとヨットスクールに送り出した子供(中学1年生、男)のことを心配しています。
■手紙I――ヨットスクールに子供を送り出した母親のその後
 「前略、先日は遠路お迎えをありがとうございました。
 ……入校以来、丁度1週間が経過したわけですが、どんな様子でしょうか。安じられます。昭彦(注・子供の名前、仮名)が出かけた後の部屋を片づけながら、どんな気持ちで出かけたろうか(どんなに苦しくとも頑張るんだよと心の中で昭彦と自分に言い聞かせ)、昭彦もさぞや不安と驚きで眠れぬ夜を過ごしたことと思いました。
 翌日、午後1時頃、昭彦より電話が入り"家に帰りたい"との言葉を受けた時には、本当に切なくつらい思いでしたが、精一杯の明るい声で"元気?頑張るのよ!"と、何度も何度も言っておきました。そして、電話が切れてからヨットスクールの方に連絡した後、昭彦の苦しい胸の内が思われ、あふれる涙をどうすることもできませんでした……」 
 こういう手紙は、しばしば寄せられます。
 中には子供宛の手紙の中に「かわいそうに、かわいそうに」と、そればかりを書いてくる母親もいます。
 それらは一切子供には見せません。せっかく親から切り離され、1個の人間として裸の自分になりかかっているのに、そういう手紙を読めばまた断ち切れなくなってしまいます。
 親にこういう感情があることを子供が知れば、ヨットスクールから家に帰った後で親を責めるでしょう。自分は行きたくなかったのにあんな所に送り込んで、と言うに違いありません。そう言って子供は甘えるわけです。
 第9の手紙の母親は、子供が家に戻り、逆恨みをしていると言ってきました。2か月間は長過ぎたのではないか、ヨット訓練が向いている子供と向かない子供がいるのではないか、ウチの子供は全然効果が上がりませんでした……。
 2か月間はまだ途中です。本人が、私達の目をごまかしながら、表面だけ取り繕っている時点です。その取り繕いを1度、引きはがさなければならないわけです。それは大手術だと思って下さい。海は、ドラスチックな心のドラマを子供達に演じさせようとしています。子供が主役意識を持ち、この海と格闘し、乗り越えなければ終わったと言えないのです。
 第10の手紙の母親は、その後になってもう1通書いてきました。昭彦君がヨットスクールを卒業し、家に帰って後のことを知らせられたわけです。
 「……昭彦がヨットスクールを卒業して、早3か月近くなります。おかげ様で元気に明るく登校しております。4月下旬には修学旅行に参加でき、楽しい思い出ができたようでございます。
 また、5月からは月2回ずつのテストに追われ忙しい毎日。やはり中2の時、欠席していた部分の勉強の遅れを取り戻さねばなりませんので、かなり苦しいようです。
 しかし、時々わがままが出ながらも、おかげ様で何とか頑張って、テストの結果も上位を保っています。
 また、父親とも口をきかなかった以前がうそのように最近では少しの時間を利用して、2人で碁を打っております。そんな姿にうれしくて感激で一杯でございます。ヨットスクールにお預かり頂いた時の気持ちを親子共々忘れることなく過ごしたいと思っております。
 本人は思い出したくないと申してますが、きっと困難に出合う度に、あの時の経験が生きてくると信じています……。
 ますますの御活躍を心よりお祈り致しまして筆を置きます……」 
 実例をもう少し、挙げておきましょう。次の手紙は、ヨットスクールを脱け出し、しばらく行方がつかめなかった女の子(高校生)の父親が、娘が帰って来た後で書いてきたものです。
■手紙J――逃走した女子高校生の父親からの報告
 「……さて、3か月ぶりに所在が判り、4か月ぶりに帰宅した娘の件ですが(注・ヨットスクールには1か月だけ居たことになる)、帰宅時は派手な服装、ハイヒールで戻り、3か月間またかなり芳しくない体験を経たことをうかがわせるような状態で戻って来ました。スナックで働いていたとか5人の男女が共同生活をしていたとか。色々と話してはいますが、どこまで本当の話をしてくれたのかは不明です。
 とにかく当初の派手さは日毎になくなり、家に落着き、両親との会話も通常の通りできるようになり、昔日の反抗的態度はすっかりなくなりました。
 ただ、日毎に生活が怠慢化し、当初の緊張感を失ってきました。貴校を卒業したものではないとの感じは否めません。帰宅後2週間ほどは自由に気ままに、思いっきり両親に甘えるに任せていましたが、将来のこともあり、娘の気持ちを問いますと、学校へ行きたいと申すので、さて、具体的にどうしたものか思案しました。
 貴校に戻すことが筋道であることは、小生にも十分理解できます。ただ、娘は休学中の高校には戻りたくない様子ですし、親としても娘の知的レベルに対応しない同校に戻したくない気持ちですので、再度、別の高校の入試を目覚して受験勉強をやり直すということも選択対象として考えられる状態となりました。
 貴校を卒業させることが娘の心理状態や自信に必要なこととも思い、迷うところですが、貴校から逃走後3か月も経過している事実、勉強してみようという意欲も大切にしてやりたい気持(もっとも、これは貴校から逃れる方便とも解釈できますが)等々もあって、娘に勉強に挑戦するよう、機会を与えてみようと決心しました。
 大変、失礼とは存じますが、寄道をさせ試行錯誤であっても一応受験をさせてみよう、失敗に終ればまた貴校にお願いをしようという甘い親の心情からの選択です……。
 帰宅後、しきりに貴校の話を、しかも親しみを込めて話をしました。ヨットに乗ることがいかに楽しかったか、しかし朝のトレーニングがいかにつらいものだったか。先生やコーチの話……等々、なつかしく話してくれました。"では戻るか"と言いますと"嫌だ"との答えが返ってきます。しかし、娘の心に貴校の生活がプラスに植えつけられていることは確かなようです。
 惜しむらくは、ちゃんと卒業したという満足感があったなら、人生にもっと有益だったろうと思います。その点、誠に残念なことですが、将来ともに卒業の機会のあることを願っています(それが心理的なものであってもよいと思いますが)……」 
 この父親も迷っています。
 娘に対して腫れものに触るように接している様子が伝わってきます。この女子高校生が戻った家庭では、あらかじめ父権が失われているかのようです。
 その後連絡はありません。どういう形で高校生活を送っているのか、中途でヨットスクールを飛び出してしまっただけに、気になるところです。その"弱さ"と、いつか必ず対時せざるをえない状況がやってきます。その時、1か月間であったにせよ、ヨットスクールの体験がプラス効果として機能すればよいのですが――。
 ともあれ、親はどうしても自分の子供を甘やかしがちです。父親は家庭の中で隠然たる勢力を誇示することによって子供に安心感を与えるべき存在であるにもかかわらず、逆に子供にふり回され、母親は優しさで子供を見守ればそれでいいのに、一線を越えて介入してしまう。
 子供の言うことを、なんでも"ハイ、ハイ"と聞くことが優しさでもないし、子供に過分に物を与えることが権威を証明するものでもありません。
 こんなエピソードがあります。
 あるジュニア・ヨットスクールが小・中学生を募ってアメリカ西海岸の、ヨット愛好少年達と交流を深めるツアーを企画しました。ツアーはすぐに一杯になります。アメリカヘ行き、現地ヨット少年の家にホームステイするわけです。
 毎年、夏休みに企画していたのですが、何度が繰り返すうちにアメリカ側から苦情が出てきたのです。その趣旨はこういうものでした――「日本からヨットを愛する子供達が来てくれるのは大変うれしいことです。しかし、日本の子供達が持って来るお小遣いは何とかならないでしょうか。アメリカでは子供にあげるお小遣いはごくごくわずかなものです。欲しい物があれば、貯金をするかアルバイトをして自分の力で買いなさいと教えています。ところが、日本の子供達は夏休みのお小遣いだと言って1000ドルも持っているのです。これではこちらの子供達が動揺してしまいます……」
 必要な経費の他に、日本の親は子供に法外なお金を持たせるのです。
 物、お金を惜しみなく子供に与えることが、親の甲斐性だと信じ込んでいるが如くです。
 また、こういうケースもあります。
 ヨットスクールには、小さい時からおじいさん・おばあさんに甘やかされて育ったという子供が、随分やって来ました。ジジ・ババ達が孫をかわいがるのは、今に始まったことではありません。
 しかし、昔のジジ・ババと今のジジ・ババ達が決定的に違う点が1つだけあります。昔――といっても、ほんの20年程前までですが――のジジ・ババ達は孫にお小遣いをあげようと思っても、余裕がなかった。その代わりに、気持ちを伝えたのです。お金ではなく、愛情であったり、老人の知恵から出てくる物であったりを孫に伝えていたわけです。最近は、孫の歓心をお金で買おうとします。それによって孫の喜ぶ顔を見ようというわけです。
 子供は、その影響を受けるでしょう。

 話が脇道にそれたようです。
 軌道修正して、ヨットスクールに入って来た後の子供と親の話に戻します。
 私達は、子供の様子を見ながら、入って1〜2か月経った時点で、親との「面会日」を設けます。
 親に合宿の近くまで来てもらい、一晩、話をしながら一緒に過ごしてもらうわけです。その時期をいつにするかは、子供の状態によります。
 内にこもっていた子供が進歩欲求に目覚め、落ちつき始めたところが1つの目安になります。非行で親を悩ませた子供の場合は、海の上でヨットに集中し、イザという時でも人を頼らず活路を開ける段階に入った時が目安になります。
 日常の動き、顔の表情などを観察しながら私達が決めるのですが、ここでもまた難しい親子関係に直面します。
 こういう親であってはならないという場面にぷつかるわけです。
 面会の場所は角屋旅館を借りることになっているのですが、翌朝、子供が朝の体操に出てこないことが時々あるのです。
 たいてい母親が面会に来ている時に起こります。
 子供が来ないので私が迎えに行くと、母親は前の晩とすっかり様子が変わっているのです。
 こういうケースがありました。
 私が迎えに行くと、突然母親が叫んだのです。
「人殺し!」
 そして子供をしっかと抱きしめて、離そうとしません。
 恐らく前の晩に、子供からトレーニングがいかにつらいか、殴られることもあれば蹴とばされることもある、皆にいじめられているんだ……等々を聞かされたからでしょう。
 私達は、繰り返して言うように、確信を持ってそういう方法をとっています。情緒障害児に何が必要であるかを知っているからです。
 しかし、母親は感情をたかぷらせて子供をそんな所に置いていけないとわめき、怒鳴るのです。その過保護、その子供に対する過剰介入が、子供にとっては本当は邪魔なのです。子供はまた、母親の勢力圏に取り込まれ、その瞬間は保護の温かさを感じるでしょうが、やがてそこから逃れられなくなり、いらだち、苦しむのです。その繰り返しの中で親ではどうにもできなくなり、私達に預けたはずなのに、結局、この種の親は子から離れられない。親不幸の子供達ではあるが、それ以上に"子不幸"な親達もいるわけです。
 確かに、親は子供に対する"親権"を持っています。しかし、それが行き過ぎれば、子供達に社会的な死をもたらしてしまう。そのことに気がつかず、人間の生物としての死だけを問題にする。
 その母親は何度も面会を求め、子供宛に何通も手紙を書いてきていました。文面はいずれも似たりよったりです。かわいい○○ちゃん、ママを許して下さいね――そういう言葉で始まり、母親としてしきりに反省し、言い訳を書き、子供の安否を気づかうというものです。
 もちろん、先にも書いたように、手紙は一切子供には見せません。この母親は子供にそういう手紙を書くことによって、自分の後ろめたさをぬぐい去ろうとしているのです。手紙を書き、許しを乞うことによって自分がラクになりたいだけなのです。
 電話をしてきて、面会日はまだ先だと告げると幾度か電話口で泣き始めました。
 親が子供から離れられない。
 ヨットスクールに預けたことで、一見、突き放しているようで、実は見えない粘着質の糸で、がんじがらめに子供を縛っているわけです。
 私は、強引に子供を引き離し、ヨットスクールに連れて帰りました。子供は、登校拒否から家庭内暴力へと進んでいった中学1年生の男の子でした。

 最後の最後まで、子供につきまとって離れないケースもあります。
 ある母子家庭のケースです。
 中学3年生の女の子が、ある日、母親と一緒にヨットスクールにやって来ました。仮にF子と呼んでおきます。F子は非行を重ね、補導歴もあったようです。
 F子はヨットスクールに比較的長く滞在していました。
 直りが遅かったせいではありません。トレーニングを重ねるうち、F子は一緒にやっている女の子達、コーチ達にも心を開くようになりました。間もなく食事の仕度も手伝うようにもなったのです。キッチンに立って、50人分もの食事を作る。女子生徒には、そういう仕事もあります。F子は、どうやら家に帰りたくないようなのです。すると母親が心配し始めたのです。
 早く娘を家に戻すようにと、要求してきました。ところが本人は乗り気ではない。もういいだろうと、とにかく1度家に帰りなさいと言うと、わかりましたと言って帰って行くのですが、また遊びに来てそのまま居ついてしまう。
 そんなことが何度か繰り返されました。中学を卒業して、高校受験はチャンスを逃したから、F子はどこかで仕事を見つけたいと考えました。母親はしかし、家に戻って来いの1点ばりです。F子は絶対に帰りたくないと言う。
 結局、私がF子の就職先を見つけました。有名な製菓会社でしたが、F子はサッパリした表情でここを去って行きました。これで一件落着と思ったのですが、そのうち母親から私の方へ連絡が入り始めたのです。
「あの子はまた髪を染めて仕事をさぽり、どうしようもない生活をしている……」
「以前よりももっと悪くなったようだ。私はこの前会いに行って見ているから知っている……」
 そう言うわけです。
 まさかとは思いましたが、1度時間を作って様子を見に行くと、別に髪も染めず、普通の明るい女の子の顔で元気に仕事をしている。母親からの電話のことをF子に言うと、実は母親が彼女の仕事場に来ては何だかんだと言って帰るのだと言う。
 これは子供の親離れの方が、親の子離れよりもスムーズに、早く終わった例です。
 そして親の問題だけが残った。
 親子間の、目に見えないからまった糸は第二反抗期を過ぎたら親の方から切るべきです。
 全ての糸を切る必要はないのです。愛憎入り混じり、すっかりとこんがらがってしまった糸を、プツンと切ればいいのです。子供は社会の中で生きていく精神=テクニックさえ身につけていれば、しっかりと生きていくものです。
 ヨットスクールに入って来た子供、そしてその親。両方に抵抗がある。その抵抗を、私達は強行突破します。
 そして、さらに次の段階に進もうとするのです。