[章 親は何をすべきか (後)
ほんの小さなきっかけから、子供たちは深い淵におちこんでしまう
ごく最近の話を書きます。
今、この文章を書いているのは昭和58年6月11日です。
正確に日付を記したのは、今の時点から17日前、5月26日に戸塚ヨットスクールのコーチ6名が愛知県警に逮捕されたからです。逮捕容疑は、この春、ヨットスクール前をオートバイで暴走していたいわゆる"暴走族"に対する暴行です。
この"事件"そのものよりも"戸塚ヨットスクールのコーチが逮捕された"という事の方が大きく報道されました。その後、ヨットスクールをやめていく子供達が続出しているという報道も流されました。
しかし、わざわざ言う必要のないことだとは思いますが、ヨットスクールはそのままの形で続いています。残ったコーチ、さらに人手を補うために駆けつけてくれたヨットマン達、そしてヨットスクール卒業生達によって、従来通りのトレーニングが続けられています。
また、この17日間のあいだ、ヨットスクールに関する悩める親からの問い合わせは相変わらず増え続けています。
新たにヨットスクールに入って来た人達もいます。その具体的なケースを書いておきましょう。
1人は30歳になる男性です。ある大手企業に勤めるサラリーマン。高校卒業後その会社に就職し、ごく普通のサラリーマン生活を送っていた人です。家庭内暴力という形で問題が噴出し始めたのは1年前、その会社を辞めて以後のことです。
彼は会社では仕事に従事するかたわら、組合活動を続けていました。その事もあって、配転を命じられました。それが悩み始めたきっかけです。会社に行くのが何となく億劫になり、初めの内は休暇を利用して休んでいたのですが、1日休めばそれだけ気持ちの上で会社が遠くなり、また1日、さらに1日と休みが増えていきます。子供の登校拒否と、基本的には何ら変わることがありません。
結局、会社を辞めることになり、かといってすぐに再就職先を見つけることはできません。そのために動き回れるくらいなら、前の会社を辞めることもなかったでしょう。両親と同居していることもあり、家でぶらぶらするうちに、ほとんど外出もしなくなっていったわけです。それが昂じると、家庭内暴力へとエスカレートしていくケースがよくあるわけですが、彼もそのパターンです。
何度となく暴力騒ぎを起こし、ついに親は自らの手で問題を解決することを諦め、ヨットスクールに入校願いを出しました。
コーチが出向くと、彼はオノと鉄パイプで武装し家にたてこもっていました。やっとの思いでヨットスクールに連れて来て、また1週間ほどしか経っていません。
入校した日、彼は不眠を訴えていました。精神的に不安定な状態が続き、それに不規則な生活が加わっていたわけです。
翌日からすぐにトレーニングに入りました。朝の柔軟体操では子供達についていくのがやっとの状態でしたが、かざぐるまを使ったヨット訓練に入ると、ガラリと様子が変わってきました。ヨットの艤装は1日でマスターし、2日目にはかざぐるまをある程度動かせるようになったのです。
それに伴って、1番変化が表れたのは、目です。わずか2日前には視線が落ちつかず、正面を見ることができなかったのが、ごく普通の自然な視線を取り戻すことができたようでした。
不眠を訴えたのは、わずかに1日。これから刻々と変わっていくものと思われます。
中学3年生の男の子も1人、入校して来ました。2代目の「アサシオ」になるかもしれません。体重117s。いわゆる肥満タイプです。一目見て、不健康な太り方だとわかります。学校にはほとんど行かず、家の中で暴れるという、登校拒否中学生の典型的ケースです。他の子供達と異なっている点は、この子供が糖尿病を抱えているということです。これは入校してきた翌日の健康診断でわかりました。
家庭内暴力の子供は、入校時の健康診断で思わぬ病気が発見されるケースがしばしばあります。体の調子が思わしくなくても、彼らは病院へ行こうとはしません。親は何とか連れて行こうとはするのですが、本人が拒否し暴れるからです。その結果、放置され事態を悪化させます。
もう1人、ごく最近入ったケースは、23歳の男性です。無職。数年前から家庭内で暴力をふるうようになり、父親、母親を殴る、蹴るという状態が続いていたということです。父親名義でサラリーマン金融から金を借りまくっていたともいうのです。入校する時、財布には30数万円の現金が入っていました。
続々と、入校希望者はやって来ます。
それが現代の日本の現実であり、また縮図でもあるのです。
その現実から私は目をそむけるわけにはいきません。なぜ、そういう子供達が生まれてくるのか、背景はたくさんあるでしょう。それをさぐっていくのも、決して無駄だとは思いません。原因を見つけ、その根っこを正すことによって結果を変えていくこともできます。しかし、その原因は目に見えているものではありません。殺虫剤をまけば害虫が駆除できるという話とは、自ずと別の問題です。
登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力……そういう子供達を前にして、のん気に原因論争を闘わせている時ではないと私は考えています。口角泡をとばす熱弁を闘わしても、わずか1人の情緒障害児を救えるわけではありません。
そしてその情緒障害児(エモーショナル・トラブルド・チルドレン)は、特殊な環境、特殊な背景から出てくるものでもありません。どんな子供も、ちょっとしたきっかけで、感情のトラブルに巻き込まれ、心をからめとられてしまうのです。
具体的な行動、何事かをすることによって、私達は子供達の心を開かせようとしているわけです。1人1人の子供を、私達が力を貸すことによって救い出そうとしています。
なぜ子供がこんな風になってしまったのか、どうしても信じられないと言う親は少なくありません。
例えばある母親は「小学校時代にはたくさんの友達もおりまして、成績も1、2番を通しておりましたので、高校もトップ校へと、中学に入ったのですが……」と、嘆きつつ手紙を書いてきています。
「中学2年の時、体育委員を無理やりさせられ、元々おとなしい性格なもので、クラス全員の前で大声で話すことができなかったのでしょう。クラスの者から馬鹿にされ、いじめられるようになったようです。それ以来友達関係もうまくいかず、勉強も手につかず、大変悩みました。中学に入り引越したのが、子供にとっては最悪だったのかもしれません。今ではすっかり自信をなくし、劣等感を持つようになってしまいました。苦しい毎日でした。何とか中3の終りまで学校に通っていたのですが、高校入試直前になって近くの高校だとまた友達にいやがらせされるからと言って受験しなかったのです。遠くの私立高を1校、受けたのですが失敗致しました。このようなことが落ち込んでいく原因となり、暴力をふるうようになり、一時は大変なものでした……」
ほんの小さなきっかけから、子供達は深い淵に落ち込んでいってしまう。
私たち大人は、その時代の文明、歴史に責任を持つべきだ
親はどうすべきなのか。
それも1つのポイントです。
基本に返れと、私はこの本の中で書いてきました。その基本とは「父親は強く、母親はやさしく」ということです。父権の喪失、それに伴って現われてきたきょう慢な母親集団。それが事態をよりいっそう複雑にしているのです。
もっとシンプルに考えればいいのです。
ゼロ歳児から3歳、つまり子供が第一反抗期を迎えるまで、母親は限りない愛情を子供に注いで下さい。この間、父親はほとんど不要です。そして、子供が自分の足で走り出し、母親の引力圏から脱し始めてから第二反抗期まで、今度は父なる存在が子供にとっては必要です。子供の背後に父なる存在がいることによって、子供は心おきなく前へ前へと進んでいくのです。
そして子供は第二反抗期を迎える。親は手を離せばいいのです。子供は自分の世界を作ろうとしている。自立しようとしているわけです、子供を解放すればいい。
この基本構造を踏み外さない限り、子供のエモーショナル・トラブルは起きないと言いきっても過言ではないでしょう。どこかでこの構造が崩れると、それが尾を引くわけです。
男のすべき仕事は3つあります。
女に子供を生ませること、その妻子を養うこと。そして、家族を守ること。それだけです。
女は、子供を生むこと。そして3歳まで大事に、猫っかわいがりにかわいがること。明日のために男の世話をすること。それでいい。それが基本です。その基本を外しさえしなければ、後は何をやっても大丈夫です。
父権の復活というと、時々こんなことを言う人がいる――メシのおかずは自分が1番いいものでなければならない。風呂に入るのは自分が1番でなければならない。自分だけは酒を飲むのだ。……男はそういうことを言い始めると、すぐ身勝手に走る。そして"雷オヤジの会"などを作ってみたりする。
私が言っているのはそういうことではありません。雷オヤジを自称しながら、家族を守りきれていない人の方が多いのです。肝心なところで、子供のバックボーンたりえていない。家庭を支える物理的、精神的支柱でありさえすれば、それでいい。それを明確に確立することが、父権の復活につながるのです。
子供達の情緒障害は、父権の喪失という土壌から生まれやすい。それが経験的に知りえたことの1つです。
その結果として、現実に、ヨットスクールには問題を抱えてしまった子供達が、毎日のようにやって来ています。
子供達は不安を抱えている。その怯えが家庭内暴力へとかりたてるのです。彼らは何に怯えているのでしょうか。自分を支えてくれるバックボーンがあらかじめ失われていることに不安を抱いているのです。1歩前へ進む度に心もとなく大地は沈んでいく。そういう不安です。あるいは彼らは、時代の先端を進んでいるのかもしれません。私の目には、地盤沈下しつつある家庭が見え、その向こうに崩壊しつつある日本が見えています。それをいたずらに、戦後日本社会の行きつく必然の末路だと言って、済ましているわけにはいきません。いかなる文明も隆盛し、成熟し、爛熟し、しかる後没落していくのだと、したり顔でつぷやいていることも、私にはできません。
その時代に生きる大人は、その時代の文明、歴史に責任を持つべきだ――というのが私の考えです。
だから私は、行動を開始した。
子供達を救い出すという形で、アクションを起こしているわけてす。
ここ数か月、戸塚ヨットスクールは、幸か不幸か、情報洪水に巻き込まれています。
テレビ、新聞、雑誌……、数えきれないほどの言葉が、このヨットスクールの周りを取り巻いていました。
それとほぼ軌を一にして、1人の青年がヨットスクールに入って来ました。今年の4月6日のことです。
年齢は20歳。男性。初めて見た時、私はこれはひどいと、つぷやきました。口はだらしなく開かれ、目は宙をさまよい、表情は歪みきっていました。父親はサラリーマン。ある大手企業の管理職の地位にいます。
父親の説明によると――「息子は高校に入ってからおかしくなったんです。それまではごく普通の子供だったと思います。おとなしい性格ではありましたが、特に異常なものは感じなかった。それが、段々と家にひきこもりがちになり、落ちつきをなくしていった。暴れるようになったのです」
精神科の医者に診せると、精神分裂病の疑いがあると言われ、療養所に入れた。あらゆる療法を試み、様々な薬も飲まされた。ぽぽ4年間、薬づけの生活が続いたわけです。そしてどうにもならず、父親は息子を伴ってヨットスクールにやって来ました。ほんの2か月前のことです。
ヨットスクールは"魔女狩り"とも思える非難、中傷にさらされていました。その嵐が吹きすさぷ中で、この青年は訓練を開始したのです。
最初、何もできませんでした。走らせれば誰よりも遅れて、まるで酔っ払いがふざけて走るようにしか、走れないのです。おまけに目は宙をさまよい続け、口は半開き。体操をやらせれば、腕立て伏せも一つとしてできない。その子供に対して、私達は容赦しませんでした。とにかくヨットに乗れるだけの体力をつけさせよう、それまでは決して甘い顔を見せず、しごき続けよう、そういう決意のもと、子供と対時していたのです。
写真を盗み撮りされたこともありました。
体が動かない日々が続きました。
私達は子供に"私刑"を加えていると、書きたてられました。私達は黙って、しかし自信をもってトレーニングを続けました。
つい数日前、その子供と父親の面会日を設定しました。
角屋旅館の一室に、父親は入りました。その後でコーチは1人の20歳になる青年を連れて来ました。
「……」
父親は一瞬、けげんな表情を浮かべ、そして息をつまらせました。人違いかと思ったのです。そこに立っているのが間違いなく自分の子供だとわかると、子供を激しく抱き寄せました。
父親は、子供のように大粒の涙を流しました。
「こんなに、こんなにたくましくなっているとは……」
「今じゃ、毎朝、柔軟体操の時に皆に号令をかけていますよ。ヨットにも乗れるようになったし……」
コーチの1人はそう報告すると、自らも涙を流しました。
20歳の青年は、もう普通の顔を取り戻していました。その目は、まっすぐ自分の父親を見つめていたのです。
そこにはカメラのフラッシュはなく、記者達の怒号は少し離れた合宿所の前で渦巻いていたのです。それが、この本の中で最後に報告する、哀しい事実です。