あとがき


 情緒障害児は文明病である。いわゆる先進国に多発しており、その他の地域ではほとんどない。中でも、日本ほど障害児の数が多い国はないであろう。我々は、まずこの日本の現実をしっかり受け止めねばなるまい。もはや、日本お得意のアメリカ頼りは役に立たない。今こそ、日本が世界に先駆けて情緒障害児の原因究明、そしてその克服に道を開く時が来たのだ。

 この問題に対する私なりの解答として、本書で「脳幹論」を提唱した。先日テレビで、NHKラジオの「子供と教育相談室」でおなじみの河合洋氏が、私の脳幹論に触れ「荒唐無稽である」と、荒唐無稽な言説を繰り広げていた。彼は私の著書を読んだこともないと思われるが、自分の立場に固執するならばそう言わざるを得まい。自分の立場を不動のものと考える、まさに天動説とはこのことだろう。

 有名な多くの「専門家」がいる。専門家とは、問題解決能力を有する人のことではないのか。しかしながら、社会問題とは解決策がないから社会問題なのであり、解決策があれば社会問題は生じない。つまり、社会問題の専門家とは矛盾した存在であり、本来はいないはずなのだ。ヨットスクールの成果には、ご存じのように様々な批判や中傷が加えられた。「学校に行くようになったからといって、どうして登校拒否が治ったことになるのだ」という見当はずれな批判まであった。そして、こうした言説をまき散らした多くの人々は専門家と称されている。さすが専門家だ。

 権利と義務は一体だ。子供の権利を認めるのならば、彼らに義務を果たさせる責任も、大人にはあるはずだ。片手落ちでは、教育はかえって逆効果になる。しかし、現在の教育現場には、子供が権利ばかり主張したとしても、それをいさめられる雰囲気はない。例えば、先生が「問題」と称せられる事件を引き起こしたときの、あの教育委員会をはじめとする管理者側の態度は何なのだろう。部下をかばってやろうともせず、あろうことかマスコミや日教組といっしょになって、当事者の先生を攻撃する。これでは、子供に義務を教えることもできないし、子供も周囲の大人のこと無かれ主義を見習うだろう。

 マスコミも「反権力」を標榜するなら、教育委員会やその統括省庁である文部省を攻撃するべきだし、対する文部省も堂々と反論すべきだ。為政者がのらりくらりと、自分に害の及ばぬことを第一に考えた言葉を並べ立てていては、教育は成り立たない。子供の本能はそんな卑怯者たちの言質に、言うことを聞く必要性を見出せるはずがない。

 そう、日本の男の弱さ、そして無茶苦茶な日本のマスコミが教育を駄目にしているのだ。しかし、そういった権力を行使する力量のない者に権力が与えられているのだ。弱い者ほど、武器を与えられるとやたら使いたがる。何故なら、周りは全部自分より強い敵だからである。しかし、我々が断固としてマスコミに立ち向かえば、マスコミだとて変わらざるを得ない。マスコミを正常化しないことには問題の根本的解決はない。

 私の脳幹論はハードウェア論、戦略論であり勿論これだけでは役に立たない。ソフトウェア論、戦術論と合わせて初めて効果を発揮するのである。しかし、「戦略のミスは戦術では補えない」と言われるように、まず必要なのは戦略論の方なのだ。情緒障害児に関する「専門家」の意見は全て戦術論にすぎないのがわかるだろう。彼らは戦略論に思いいたらないのではないのか。情緒障害の本来の意味を理解していないのではないだろうか。そういえば、この頃、情緒障害という言葉をあまり使わないようだ。

 日本では何故か権力者に義務、責任を要求しない。現場の人間はたまったものではない。事故や事件は現場で起こるに決まっているのだから。我々の「事件」についても現場に全責任を負わせずに、是非、真犯人を見つけて責任を取らせてほしいものだ。マスコミか文部省か名古屋地検か裁判所か家庭か。彼らは重要な犯人である。しかし、突き詰めていくと1番重要な犯人は「日本の男」――そう我々になってしまうことだろう。

1992年7月15日