第四章
脳幹トレーニングで情緒障害児を直す
脳幹が衰弱するとあらゆる病気を患ってしまうというのが氏の持論である。その説に沿って考え合わせると、文明病もこの脳幹の働きに左右されているものだというのだ。ここでは、文明病の原因である脳幹の衰弱を捉え、脳幹が果たす諸機能に触れ、その問題点を明らかにしていただく。
脳幹部は内部行動を支配している
私どものヨットスクールに入校を希望して来る生徒に「肌が汚い」「肌に若さがない」「中年のようなブヨブヨとした体つき」「目が死んでいる」といった症状を持った人が多く見受けられます。つまり、若さがないのです。
あるいは、一時期、当世若者気質として物議を醸した「無気力、無感動、無表情」の三無主義など、我々が若者に本能的に期待するものを持っていない若者が多く見受けられます。
いずれにしても、これらの症状はすべて脳幹の弱さによるものです。従って、脳幹を強くすることによって克服できます。
では、この脳幹は具体的にどんな働きをしているのでしょうか。脳幹は脳の中で1番下位にある脳ですが、ここで精神の基礎(下意識)をつくり、また内部行動の指令を出します。前述しましたが、もう1度、情報から行動に至る順番を図にすると次のようになります。
情報→情報処理→行動
情報を集めるのが感覚器官(目、鼻、耳等)で情報処理するのが脳、そして行動するのが肉体というわけです。
そして行動には、
外部行動
内部行動
の2種類があり、外部行動を我々は一般に行動と呼んでいます。
もう一方の内部行動とは、意識下で内部環境を保つために自動的に行われる行動を指します。たとえば、水分調節、体液の成分調節、体温調節、呼吸や心臓の働き、消化・吸収・排泄、免疫機能、発汗、発熱……とじつに様々な働きをしています。
動物の進化は自分だけに起こるものではありません。当然の成り行きとして、餌や敵も進化しますからお互いに複雑化する一方です。もちろん、そうした環境変化に対応し、生き抜くためには、情報収集や情報処理をはじめ、それを統括する脳もそれに合わせて複雑になっていかなければなりません。その結果、脳幹だけではとてもまかないきれなくなり、大脳辺縁系、さらに大脳新皮質を進化させて、外部行動のニーズに対応するようになったのです。
一方、内部行動の方はパターンが大体決まっていますから、脳幹部でも充分対応できます。辺縁系や大脳新皮質といった上位の脳で外部行動をまかなうようになっても、脳幹部は変化することなく、それらの上位の脳に精神の基礎を与えることのみを役割としているのです。
機能低下で本能、理性、行動も低下する
人間の行動原理は"快を求め、不快を避ける"であるということはすでに説明しました。その行動の基礎は感情の種類で決まりますが、感情の種類は脳幹部ですでに決まっています。脳幹部から分泌されるアドレナリンにより、「驚愕」と「恐怖」が生じ、ノルアドレナリンにより「怒り」が生じ、ドーパミンにより「快感」が生じます。
前述の無気力、無感動、無表情の三無主義の子供たちは、脳幹部の機能低下が著しいためにこうしたホルモンの分泌が少ないのです。そのために表情や精神の働きも乏しくなってしまっているのです。
このように脳幹部において、すでに感情の種類は決まっていますが、この段階では、感情として自己認識することができません。これらのホルモンが辺縁系に到達したときに、初めて情動(本能としての感情)として感じることができるのです。さらにそれが新皮質に到達すれば、ようやく人間らしい感情となります。
これを具体的に置き換えると、たとえばテストでライバルに負けたという情報が入ってくると、脳幹はノルアドレナリンを多く分泌し、それが辺縁系にきて怒りという情動になり、さらに新皮質にきて嫉妬という感情になるわけです。それで、この不快感から逃れるために、人間は努力して相手に負けないレベルに到達しようと行動するのです。
しかし、この脳幹部の情報処理が狂っていたらどうなるでしょうか。ノルアドレナリンの分泌が少な過ぎると、大きな嫉妬は発生しませんからあまり努力しようとしないでしょうし、多過ぎれば、嫉妬が強過ぎて相手を殺してしまうなどということにもなりかねません。さらに、ノルアドレナリンより、アドレナリンの分泌に傾けば、「恐怖」と「驚愕」が生じるわけですから、いろいろ理屈をつけて逃避するようになります。これでは努力など到底望めそうにありません。ましてや処理が狂ってドーパミンを発生するようになれば、負けることに快感を感じてしまい、何とかして人に負けようとすることになるでしょう。
人間の精神、心を支配する脳幹部
人間の精神といえども、下部でこうした原始的な情報処理をしている以上、脳幹の狂いは、そのまま精神の狂いに通じ、人間の行動を狂わせることになります。我々の扱ってきた子供たちの問題行動は、このようにして生じたものだろうと考えられます。「脳幹は植物脳で行動や精神には関係ない」と思われがちなのですが、これはとんでもない誤解であり、精神の元はここで発生しているのです。つまり、脳幹の機能が低下すれば、本能も理性も低下してしまうのです。
大脳新皮質は単独で働いているのではなくて、あくまで脳幹が作り上げた基本方針に基づいて働いていると考えられます。すなわち、人間の精神は、むしろ脳幹の方が主役であり、大脳はその付属器官という考え方が成り立ちます。
人間が誇る精神、あるいは心は、脳幹部という1番原始的な脳に支配されているのです。そのことを逆に考えると、教育荒廃に伴う、数々の不思議な現象は、この脳幹に問題があるというのもあながち否定できなくなるはずです。
先ほどの三無主義、つまり、無感動、無気力、無表情もこの脳幹に問題があるのです。たとえば、感動は強い感情ですから、アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミンの3種類のホルモンがドッと多量に出ることにより発生します。しかし、脳幹が衰弱していたら、これらのホルモンは充分分泌され難くなり、感動も生まれなくなります。
また、気力は脳幹にある視床下部というところから分泌される、神経ペプチドというホルモンによって作られますから、視床下部の機能低下は、気力低下につながるのです。表情も脳幹から分泌されるドーパミンが辺縁系の線条体に作用して作られるといわれており、その機能低下によって無表情が生まれてくるのです。
異常は脳幹の機能低下によって生じる
続いて、そのほかの問題児の症状についても検証してみます。問題児に多い症状に自律神経失調症があります。この自律神経も脳幹に支配されていますので、当然、問題点は脳幹にあると考えられます。
その他にも小児喘息、若年糖尿病、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、膠原病等の免疫の異常も、免疫系が脳幹の支配を受けているのだから、脳幹の衰弱によって発病することがあるのは充分に考えられます。
さらに、脳幹の重要な機能であるホメオスタシス(恒常性)が自然治癒力や抵抗力の元と考えるならば、病気になりやすい、病気や怪我が治りにくい、腫れがひかない、すぐに化膿するなどといった症状は、脳幹の機能低下との可能性も否定できません。
この脳幹が精神のモトになっている以上、同じことが神経症と呼ばれる様々な症状にもあてはまるでしょう。
たとえば、嫌なことがあるとすぐに、てんかんを起こす、腰が抜けてしまう、目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、さらには年齢退行する(精神年齢が低下してしまう)などの症状もそうでしょうし、幻聴や幻視などの幻覚、不眠症、過食症、拒食症なども脳幹の低下、あるいは狂いということに充分当てはまりそうです。
つまり、このように問題児の肉体的、精神的な症状は、すべて脳幹機能の低下や狂いとして説明づけられることばかりです。
脳幹機能容量をオーバーするとパニックに
では、何故、文明社会において脳幹機能低下が著しくなったのでしょうか。このことは筋肉に置き換えて考えればわかりやすくなります。筋肉は使わないと痩せてしまいます。細胞は負荷の大きさに応じた機能を持つように変化するからです。スポーツのトレーニングでは負荷を大きくして細胞の機能を増大させます。たとえば、バーベル挙げでは、100キロを持ち上げる人間に100キロの重さのバーベルで練習しても あまり効果が上がりません。105キ口、110キロのものを挙げられるように練習してこそ初めてその能力は上がっていくのです。使わないものが痩せてしまうのは動物の宿命です。もちろん、脳細胞といえどもその例外ではありません。
現代社会は、精神的ストレスが過剰になるといわれています。これだけ情報が氾濫し、生活が多様化すると当然のことかも知れません。しかし、その精神的ストレスが心身症や神経症の主な原因という見解には今一つ素直に頷けないものがあります。確かに量に関していえばその通りなのでしょうが、質の問題では反対といえるのではないでしょうか。
情報量が脳幹の情報処理能力をオーバーしてしまうとパニックが生じます。このパニックが、肉体的に影響を及ぼしたのが心身症で、精神的な面に出たのが神経症といえると思うのです。ただし、この場合は慢性的なパニックです。脳幹部の情報処理能力が小さいので、通常の生活における情報が常に処理能力を超えている状態のために機能のどこかにパニックが生じ、それが本人の弱点に歪みとして表れるのです。
身近なところで例を挙げると、学生の時にのんびりと生活していた者が、就職した途端、それまでとの生活ペースとは打って変わって、時間に追われる、上司にはいじめられる、しかも仕事はうまくはかどらない、などといったことで、心身症や神経症になってしまったケースをよく耳にします。いわゆる五月病です。
ところが、社会生活の中では不快感が発生したからといって、すぐに行動を起こすわけにはいかない場合があります。上司にいびられ、怒りが発生すれば、攻撃しろという指令が出ますが、殴ればクビになるので殴れない。だから、"殴れ"という指令はずっと出っぱなしの状態です。つまり、脳幹はノルアドレナリンを分泌し続けの状態なのです。ノルアドレナリンは覚醒剤ですから、夜も眠れずに脳幹はくたびれてしまいます。
脳幹トレーニングで、機能を正常化する
ストレスというのは不快感のことであり、エネルギーの一種です。「エネルギーは高い方から低い方に流れる」のは常識であり、溜るとは考えにくいものです。また、脳生理学的にも、脳幹から分泌されたノルアドレナリンはやがて分解されてしまうはずで、1度分泌されたものがいつまでも溜っていることはあり得ません。
ダーウィンは、人間の感情を湿った感情、動物の感情を乾いた感情と呼びました。動物の場合は、どんなに強い思いが湧いてきても、その目的さえ達成してしまえば、その感情はきれいさっぱりなくなってしまいます。ところが、人間は記憶力が抜群にいいので、課長に理不尽に叱られたことをいつまでも覚えており、怒りは発生し続けます。これがストレスです。ストレスとは元々、我々工学系の用語であり、力がかかりっぱなし状態のことなのです。
人間はこの湿った感情ゆえに、しぶとく、しつこく努力を続け、今のような進歩をしてしまったのですが、逆に湿った感情故にストレスの虜になってしまい、胃潰瘍や不安神経症になってしまいます。
さて、それならストレスにどう対処したらよいのでしょうか。まず、何よりも大切なのは、ストレス等をはねかえしてしまう丈夫な脳を創ることです。同じようにストレスがかかっても平気な人もいれば、すぐに参ってしまう人もいます。私はこのことで一生忘れることのできない苦い経験を持っています。嵐の遠州灘でヨットが沈没し、私ともう1人のクルーは海に放り出されました。1番質の高い負荷がストレスとなって襲ってきたのです。その中で私は生き延び今に至るわけですが、クルーの方は30分たたぬ間に死亡しました。これは脳の情報処理機能のうち"質"の方の問題でしょう。海では百戦錬磨の私と新人の彼との差が出てしまったのです。"生きるか死ぬか"というもっとも質の高いストレスにも私の脳幹は対処したのですが、彼の脳幹は耐えきれずパニックに陥ってしまい死に至ったのでしょう。100キロのバーベルを持ち上げるトレーニングを積んだ人は100キロの負荷がかかっても平気ですが、50キロしか持てない人はつぶれてしまいます。
ストレスを語る時、解決法をさぐるには誰しもその量のことばかりを考えます。しかし、大事なのはその質なのです。生きるか死ぬかのストレスに比べれば、課長に叱られたことなど、大したことありません。100キロ持てる人に、5キロを1日中持たせたところでストレスによる障害等が生ずるはずもありません。ストレス撃退法は、ストレスをなくすことでも、酒やスポーツで発散することでも、カウンセリングを受けることでも、安定剤を飲むことでもありません。より質の高いストレスに耐え得るようトレーニングをしておくことなのです。その答は脳幹トレーニングなのです。
脳幹機能低下に陥った子供たちというのは、自主性というきれいごとの教育で蝶よ花よと育てられた傾向が顕著で、脳幹トレーニングはまったく疎かにされてきています。かつては子供たち自身の社会の中で自分たちを鍛えていたものを大人たちがしたり顔で、その領域を妨害するようになってしまった現代の社会では、そのような訓練ができないのが現状です。
脳幹機能を高めれば、イライラも解消
さて、今まで述べたパニックは機能の許容量を超えることによって生じたパニックです。従って、その前兆として、脳幹機能低下による様々な症状が出ますが、慢性的なパニックですから徐々に起こり、そうして長く続きます。「ワラ1本がラクダの背中を折る」という諺があります。これはワラ1本で折れるはずのない背骨でも、それまでにやっと耐えられる負荷を背負っていたところに、ワラ1本を載せたために、ついに背骨が折れてしまったといういましめです。つまり、何事もよくよく観察してみると、折れるまでにはいろいろなところに、それなりの症状が出ているということです。
このようにパニックには質によるものと量によるものの2つがありますが、どちらか一方のみということはありません。両方が混じっていると考えるべきです。家庭内暴力などで、親に暴力をふるう理由は、ごくつまらぬものです。ちょっと気に入らぬことを言ったとか、物を食べる音がうるさいとか、テレビのチャンネルを変えたとか、勝手に部屋を掃除したとか、とても発作的に暴力をふるうほど、質の高い不快感が発生するとは思えません。これには「ワラ1本がラクダの背を折る」の例えで説明するのが良いでしょう。軽いワラ1本でラクダの背骨が折れるわけがありません。しかし、その前に折れる寸前までに荷を積んでいたら、軽いワラが引き金となって背骨が折れてしまうでしょう。ちなみに日本のマスコミは、ワラを載せた人に全責任を取らせるのが大好きで、真犯人を逃しがちです。
家庭内暴力も同じことで量の問題が質の問題に突如変わってしまうのです。どうやら、質も量もトレーニングをしなければならないようです。
ストレスによる胃潰瘍、十二指腸潰瘍などが脳幹トレーニングで直るというと、今まで病院や薬など対処療法が全てだと思っていた人にとっては、躊躇するところでしょう。もともとストレス病と思われる向きのあるこれらの疾患にさらなるストレスを加えることになるのではと心配するのも無理のないことかも知れません。しかし、脳幹トレーニングでストレスは溜りません。情報処理をするとすぐに行動に移してしまうからです。
また「イライラ」という不思議な現象があります。これも感情の一種なのでしょうが、他の感情とは少し違うようです。イライラしているときは、簡単に怒りが爆発するので、「怒り」の変形と思いがちですが、イライラ自体は「怒り」ではありません。
そこで、私は、「イライラ」は「脳幹機能が手一杯」の合図だと考えています。それ以上情報処理ができないので、もう情報を入れるなという合図なのです。
だから、イライラを解消するには、とりあえずの情報処理を行動に移すか、のんびりできるものなら、のんびりするか、いずれにしてもそれ以上の情報を入れないことが必要です。しかし、1番の良策は脳幹の機能を高めることです。そうすることによって、処理能力が高まり、イライラは通常の生活で起こりにくくなります。
そのためにも、まずハードウェアとしての脳幹機能が重要になり、その上でソフトウェアの問題に対処することが必要です。
人生の様々な目的は精神的快感に含まれる
さて、教育とは子供を変化させることです。その変化は良い変化、すなわち進歩創造を目指しています。どういう変化が良い変化なのかを見極めなければ、つまり、目的地がどこにあるかがわかっていなければ、先生は子供を正しく教育できません。
これは「人生の目的は何か」ということに一致します。哲学や宗教も科学も皆これを目指しているのです。人類が歴史上ずっと頭を悩ませてきたこの大命題も、精神をハードウェアやソフトウェアに分けて考えると、意外に簡単に答が出てきます。人生の目的、生きる目的を挙げてみると、「幸福」「喜び」「地位や名誉」「金」「大きな仕事を成し遂げること」などいくらでも出てきますが、こうした目的は人間にあるものをもたらします。
それは、
精神的快感
です。人間が求めるもの、それはすべて精神的快感が得られるものです。つまり、人生の目的とは、それが何であれ、最終的には、
いかに大きく、長い、精神的な快感を得るか
ということ以外に何者も存在しません。つまり、脳幹トレーニングは教育の現場において絶対欠かすことのできない命題といってもいいでしょう。
例え宝くじで1億円当たったとしても、そのことにより脳幹からドーパミンが充分出なければ、大してうれしくもなく幸福でもありません。人からきれいだねと言われてドーパミンがドッと出れば無上の幸福を味わいます。要は外から入る情報よりも情報処理能力、つまり、脳幹の機能の方が大事なのです。その機能が大きい人は「幸福になる能力」が高いわけです。幸福は何を得るかではなく、いかに情報処理をするかにかかっています。自分がそれほど幸福でないなら、それは自分のせいであり、逆に自分が人を幸福にしてやれるなどと大それたことを考えないことです。戦後民主主義教育は子供に幸福を与えようとして、結局は子供の幸福を奪ってしまったのです。
トレーニングに最適なウィンドサーフィン
病気やケガは細胞が異常になったり、破壊されたり失われたりした状態です。すなわち、治癒とは、細胞が正常に戻ったり、再生されたりすることです。これはホメオスタシスであり、脳幹の機能に属します。従って、自然治癒力というのは、脳幹の機能によるものです。脳幹が虚弱であれば病気が直りにくくなるのは当然の帰結です。
また、ダイエットにも脳幹トレーニングは効き目を発揮します。過食症は脳幹の情報処理が狂って、必要なエネルギーと摂取するエネルギーのバランスが取れなくなった状態であり、拒食症も同じことです。これを、正常に映すためには、そういった情報処理を支配している脳幹の機能を正常化させることによって解決できます。具体的に脳幹をトレーニングする方法としては、より質の高い不快感を常に発生させ、それを乗り越えるようにする訓練があります。
質の高い不快感とは、生死に関わる不快感のことです。そうした危機感が希薄な現代社会にあって、この生死にかかわる不快感は人為的に発生させるしかありません。
つまり、それは人間を殺す方法と同一ということになります。その方法には3種類あります。まず、1つは、鉄砲で撃つ、殴り殺す、刀で切る、放射能を浴びせるなどの細胞を物理的に破壊させる方法です。第2番目は、水の中で窒息させるなどの酸素を絶つ方法です。第3は、エネルギー源を絶つ方法。つまり、断食や断水による死です。
子供の丸太渡りなどは、自ら死に至らしめるような行為を遊びの中に取り入れていたのです。ただ、ホラー映画やジェットコースターなども恐怖感を与えてくれますが、自らの力でその恐怖感(不快感)を乗り越えていく行動がありません。それではトレーニングにはなりません。
そこで、我々のヨットスクールでは人為的に生か死かの状態をつくり、自らがそれを克服するための行動を絶えず起こすような方法を用いています。具体的には先ほどの3種類の中の「酸素を絶つ方法」を利用しています。海に対してはどんな人間でも恐怖感を持っています。その恐怖の核には海では人間は生きていけないという厳然たる事実があるからなのです。つまり、海の中では人間は窒息死してしまうということです。
その海で、ひっくりかえりやすいヨットやウィンドサーフィンを用いてのトレーニングです。海に落ちれば「死ぬ」という本能があります。だから、ヨットやウィンドサーフィンの上に少しでも長くいようと努力(つまり行動を起こす)するわけです。
しかも、ヨットスクールのヨットはわざと転倒しやすく作ってあります。また、ウィンドサーフィンはヨットよりも転倒しやすい。ですから、常に行動を起こすしかないのです。この絶え間ない繰り返しによって、文明社会で衰弱していた脳幹機能はトレーニングされるわけです。
また、今までのデータを見ると、冬にヨットスクールに来た子供たちが早く立ち直っているという現象があります。これは、寒い冬の海でトレーニングするため、夏の暖かい海よりも気象条件が厳しく、より強い不快感が発生するためです。
さらに効果を上げる方法として「体罰」があります。脳幹を強くする基本はヨット、ウィンドサーフィンによるトレーニングですが、その訓練を強制させるために体罰が効果を発揮するのです。この体罰によって子供たちは恐怖感を覚え、トレーニングせざるを得ない状況に追い込まれトレーニングに打ち込むこととなるわけです。これは体罰無しより効果を上げます。
とくにヨットスクールに入校する多くの子供たちは通常の社会生活を営めなくなった重症児です。口で指示しただけでトレーニングするような生やさしいものではありません。彼らには体罰によって恐怖感を与え、こちらの方が絶対的に強いということを認識させたうえでトレーニングを行うようにします。この時の体罰がなければ、彼らは言うことを聞くはずもありませんし、逆に聞くような子であれば、入校するほど情緒障害は悪化していないでしょう。
この体罰の効果は、行っていた時と現在のように行わなくなった場合とで比べると顕著にその差が表れます。体罰が存在した頃は、どんな障害児でも3ヶ月もあれば直っていましたが、今では半年、1年を要してもなかなか良くならないケースもあるほどです。体罰があればすぐ直るのに今ではまったく効果の上がらない例もあります。
体罰を非難する人の多くは、「暴力で強制的に訓練している」と言いますが、本当に体罰がどんなものなのかを認識しているのでしょうか。体罰と暴力は根本的な相違点があります。暴力は単に肉体的な痛みを与えるのに対し、体罰はその名が示す通り、痛みという罰を与えることにより技術や礼儀を教え込む1つの有力な方法なのです。つまり、暴力は自分の利益のためにするものであり、体罰は子供の利益のためにするものです。目的がまったく違うのです。
この点を認識せずに、的外れな批判をしているのは、悪しき戦後民主主義の幻想を鵜呑みにして、それを信じ込んでいるきれいごとばかりの人たちなのです。そんなきれいごとでは、情緒障害児の置かれている厳しい現状を改善することは100パーセント不可能でしょう。
言い換えれば、多くの権威者が言うように、理性では直しようのない問題がこれら情緒障害児(本当は情動)の問題なのです。しかし、今でも「教育は愛だ」とありがたいお題目のように唱えるマスコミ、専門家諸氏がいます。そして結果はどうかというと直っていない。それでは何のために専門家であるのかわかりません。
情緒障害児の問題は、日本の行く末にも大きく関与してくる問題だと私は考えています。そのためには、1人でもきれいごとから目を覚まし、本質を見極める「大人」たちが出現してほしいところです。それがない限り、この問題の解決は絶対にあり得ません。