
情緒障害児問題に寄せて(七)
「真実は」
横田 建文
八、新聞ジャーナリズムと検・警察の狂態
いったん捜査当局が動き出せば、新聞はフリーパスを手にしたようなものである。“客観報道”という名のもとに、捜査当局筋の情報と称して書きたい放題を書きまくった。
いくつかの見出し等を列挙してみよう。
〈朝日新聞〉
▽暴力コーチ6人を逮捕(5・26朝刊)
▽「スパルタ教育」の怖い体質(5・28朝、社説)
▽校長がしごき命令(6・12朝)
▽校長逮捕 訓練の名で暴行(6・14朝)
(略)
〈毎日新聞〉
▽“虐待集団”の放置許すな “治療”で陰湿な“私刑”(6・4朝)
▽警官と偽り手錠かげる 戸塚ヨット暴力コーチ(6・6夕)
▽くずれた虚勢、戸塚校長(6・14朝)
▽戸塚校長“証言隠し”訓練生、父母に圧力「警察にしゃべるな」(6・15朝)
▽ウソで塗られた“戸塚論法”(6・15朝)
▽「スパルタや、しごき見たい」見物客が500人も 神経ピリピリ沖合へ“避難”(6・20朝)
(略)
〈読売新聞〉
▽「暴力至上主義集団」を支配する この狂気(週刊読売6・12)
▽子供死なせて何が“教育” 学校ではなく企業(6・14朝)
▽直前まで薄笑い講演、逮捕の戸塚 独善の“牢屋教室”(6・14朝)
(略)
捜査当局はまず5月26日、コーチ6人を逮捕、それをもとに6月13日には本命の戸塚宏校長を逮捕した。
ところが、戸塚校長以下コーチのほとんどは完全黙否。戸塚に至っては取調官にヨットの講義をしているというのだから、当局があせるのも無理はない。確かなことを調べたわけではないが、児玉誉士夫の黙否記録を戸塚が破ったといった人がいる。
起訴→公判開始という日程に間に合わせなくてはならないのだから、あせるわけである。
一方において、戸塚ヨットスクールを守る会は結成される、脱走した生徒を「2度とヨットヘ返すな」といって親に渡したところ、目の前でヨットスクールは渡されてしまう、入校申し込みが相次いでいる、唯一最大の味方の新聞に対して出版社系のジャーナリズムがこぞって反論を開始する……。
捜査当局はこのときほど新聞にあおられて捜査に踏み切ったことを後悔したことはないのではあるまいか。
(略)
捜査がはかばかしく進展しない当局として、この時点でのせめてもの願いは、戸塚ヨットスクールが息を吹きかえさずにこのまま自然消滅してくれること、それが自分たちの捜査が正しかったことを証明する有力な証拠となると、考えたとしてもおかしくない。
戸塚校長やコーチ達を釈放しないのも(注、本稿終了時で拘置は1年4ヵ月以上に及ぶ)黙否をしているということもあるけれども、彼らが帰ればヨットスクールはすぐにでも息を吹きかえす、戸塚ヨットスクールを必要としている現実が厳然として存在することを当局も困難な捜査を通じて初めて、いやというほど思い知らされているからであろう。
これでは、何のための逮捕、大騒ぎだったのかということになる。
私が何度も警告しているように、彼らは、本来刑事警察が単独で踏み込んではならない分野に、新聞にあおられて踏み込んでしまったと思われてならない。フィーバーの間たけ新聞は味方をしてくれる。が、宴が終わったとき、新聞はさっさと他の話題を求めて逃げてしまうが、置いてけぼりをくった司法当局はこのやっかいな問題を取り組んでいかざるを得ない。それが見えているから、彼らは戸塚ヨットスクールが自ら消滅していってくれることを望む、と考えるのがスジだろう。
そのためには校長やコーチの代わりにOBや父兄が応援に駆けつけてきて、ヨットスクールが維持、存続されては困るのである。
応援に駆けつけてきた、立派に立ち直っている少年たちや、支持の父兄を逮捕したのは、後続部隊を断ち切るための見せしめであったと、事情を知る者たちは見ている。
検・警察のあせりは増幅され、メンツを保つための強引な行動はエスカレートする一方であった。子供達まで逮捕あるいは事情聴取した警察は、「以後、戸塚ヨットスクールには近づかず、後援活動を含め関係ある行動はいっさいしない」という条件を親達につけ、条件に応じない場合は鑑別所や精神病院に入れると恫喝を加えた。
しかし、それでもヨットスクールは存在して訓練は続けられ、情緒障害治癒の成果はあがり続けていた。
コーチ達は相変らず完全黙否であり、初公判の期日は迫る……。
警察は理由にならないような容疑で残ったコーチを逮捕して遂に初公判直前の58年9月30日にスクールを閉鎖に追い込んだ。
だが、それでも物的証拠と自白が不十分の状態で、公判維持が検・警察にとって圧倒的に困難であることは変りがない。小川真人君傷害事件の初公判ではまともな証拠開示すら行わないという体たらくで裁判に臨まざるを得なかったのである。
検・警察の横暴は公判後も延々と続き、戸塚ヨットスクールで治癒した傍情障害児達に様々な圧力と嫌がらせを続け、再び非行や登校拒否に追い込んでヨットスクールの成果の反証としようとすることまで行われているのである。
検・警察の犯罪行為を詳細に論証しようとしたら1冊の本を上梓するに十分な量となってしまうので、ここでは1983年12月の傷害致死事件第2回公判で開陳された被告人戸塚宏と山口孝道コーチの意見陳述書を掲載するにとどめる。
意見陳述書
傷害致死等 被告人 戸塚宏 外7名
昭和58年12月23日 上記被告人 戸塚宏
名古屋地方裁判所刑事第4部御中
記
(一)
1 私がこの事件で逮捕されたのは本年6月13日のことであり、既に身柄の拘束は6ヶ月以上に及んでいます。
2 その間、捜査当局は戸塚ヨットスクールを組織的・計画的・常習的暴力集団と決めつけ、これを閉鎖に追い込むことを目的として犯罪捜査の名のもとに常軌を逸したとしかいいようのない行為を執拗に繰返しました。
例えば@スクール関係者の殆んどが逮捕拘留され、一言の弁明もできないことをよいことに自らに都合の良い情報のみを、虚構の事実をまじえてマスコミに流すことによる世論操作がなされました。A私の後任としてスクールの責任者となった加藤忠志コーチに対しては、過去数年間、全く問題にもならなかった、訓練生を同行した行為を理由とする逮捕勾留が行われ、かつ、そのむし返しがありました。Bまた、そのあとを引継いだ境野貢コーチの逮捕にいたっては、3年前の昭和55年11月に発生したものであり、同コーチは、当時参考人として警察の任意捜査に協力し、事情聴取を終了していた行為を被疑事実とするものでありました。
3 (校長、コーチに為された検察の虚構事実による分離工作について。略。)
4 更に、私の聴き及ぶ限りにおいて、参考人である場合は捜査当局の事情聴取に応ずるか否かは、刑事訴訟法上本人の全く自由な意志によるものだとのことであるにも拘わらず、捜査当局はこの原則を頭から無視し、スクールでの訓練を終わり、やっと元気に登校することができるようになった子供の通学先の中学校に押しかけ、授業中に校長室で強引に事情聴取を行い、保護者の立場を拒否し、訓練を終わった生徒の自宅へ押しかけ、そっとしておいてほしいと願う両親の切なる希望を無視し、調書が気に入らないから調べ直すと称してつきまとい、遂にはその少年を家出にまで追込んだり、事情聴取に応じないときは少年院に送り込んでやると脅迫した捜査員さえあります。また、本人の意志を無視してスクールからつれ出し精神病院へ送り込んだ事実もあります。
5 この席でその全てを語ることはとうていできませんが、小川君の死亡以来、過去1年に及ぶ捜査当局の行為が、先にのべた如き理不尽な行為の繰返しであったことを、そして、今後この法廷に提出されるであろう証拠の多くが、右に述べたような状況のもとで作られて来たものであることを、裁判所におかれては何よりもまず御銘記頂きたいと考えるものであります。
6 次に、私は多くの被疑事実により起訴されております。もとより、おなくなりになった方には大変お気の毒に思いますし私自身1番残念なことと考えています。また、その何れについても自らが真に行ったこと、かかわったことについて事実を曲げて申し開きをしようなどとは一切考えておりません。
むしろ、可能な限り自らの信ずるところを、この事件における審理の場で率直に披露し、そのための主張・立証の努力を弁護人の協力のもとに続けたいと逮捕以来終始考えて参りましたし、その考え方は今も変わるところはありません。また、この気持ちは、ここに出廷している他のコーチの諸君も、皆同様であろうと考えます。
ところが、本件の第1回公判に臨んだ検察官の態度は、私共のこのような意志を完全に裏切ったものであり、密室における取調に際し、各コーチに対して居丈高に臨んだ態度とは全く逆のものであって、私共をガッカリさせるに十分なものでありました。
まず、検察官は前述のような手段で収集したであろう膨大な証拠のうち、重要な部分をひたすら隠し続け、私共及び弁護人に閲覧さえ許そうとしなかったのであります。
また、不明確を極める公訴事実に関する弁護人の求釈明に対し、殆ど答えようともしなかったのであります。(中略)
もし、検察官がフェアな態度で事前に証拠を開示し、弁護人が事前に提出していた求釈明に対しても真摯にこれに応じていたならぱ、私は、公訴事実の全てについて第1回公判において詳細かつ明確な罪状認否を行うつもりであり、これによって本件の争点はより明確となった筈であり、迅速かつ実質的な審理が可能となった筈であります。
しかるに、自らが公益の代表者であることを忘却した、検察官の前述のような姑息な態度によって、罪状認否を含まないこの意見陳述を行わざるを得ないことを私は心から残念に思うものであります。
(二)
1 ヨットスクールを始める動機(略)
2 先にのべたとおり、私は、偶然の出来事が契機となり、かつこのような子供を抱えた家族の悲痛な訴えを聴かされるに及んで、むしろ、当初の自らの意思(オリンピック級のヨット選手の育成←筆者注)とは異なった方向へ歩み出さざるを得ない結果になったのでした。そして、入校を希望される多くの人々の要望に応えるため昭和52年12月には情緒障害児のための特別合宿というコースを併設したのであります。
その間、私は私なりに我が国における情緒障害児の実清について、いろいろ調べてみました。(中略)
私が、自らの調査によって、当時知り得た事実は以上のようなものであり、現に、登校拒否児に代表される多数の情緒障害真相、真実を客観的且つ冷静に究明して戴きたいと願う事は、私1人のみならず、他の被告人に於いても同じであろうと思います。
しかるに10月31日の第1回公判に於ける裁判所側の訴訟指揮上の態度は極めて一方的且つ事務的なものに見受けられ、不満、不信の念を禁ずる事ができません。概して下級審に於ける判決というものは、基本的には“世論”が納得する線でという色彩が濃いと聞き及んでおりますが、“客観報道”という名の下に捜査当局筋の情報と称して、本来、1人1人の人権を大切にするという基本理念を忘れ、その良識や平衡感覚をも疑わざるを得ないマスコミの報道姿勢によって、仮に“世論”なるものが形成されてゆくとするならば、審判を仰ぐ被告人としては、この裁判の流れや結果に、極めて深刻な危機感が抱かれます。
第2に、捜査段階に於ける当局の、スクールに対する中傷、各コーチに対する誹誇、分断工作は巧妙かつ執拗なものがあり、曰く「今回の事件は無罪を争う事件ではない」「こちらはいつまでかかっても構わないが、お前達が困るだけだ」、曰く「弁護士を個人的につけて、分離でやれ」「保釈もその方が効きやすい」「校長が黙秘しているのでお前達の保釈も長びく、よく考えた方がよいぞ」「校長は給料を支払わず、弁護費用に回しているのはケシカラン」「校長はズルイ男だ、1、000万円以上の収入を得て、弁護費用を出せんとか、給料が出せんというのは非常に腹が立つ」、曰く「某コーチは某コーチのことをこういっているぞ、いろいろ聞いとるぞ」、曰く「スクール自体の持つ暴力体質がこういう事件を起こす」「お前達は皆同じだ」という言葉に象徴されるような予断と偏見に基づく十把ひとからげ的発想のもとに被告人全員が、同じように断罪されうるのではないかという不安を抱かせられながらの5ヶ月以上にわたる取調べが一体どの様なものであるか!
捜査当局の立証というものは基本的にその被告人はあくまでも無罪であるという前提の下に立って、有罪という事を証明しなければならない性質のものであろうと思います。が、明らかに「戸塚つぶし」というシナリオを基に開始されたであろうと推測される当局の捜査方針に対し、何ら抗する術なき被告人の立場を御理解戴きたく思います。
第3に、強調して申し上げたいことは、情緒障害児教育というものは、今、その現実に直面している当事者でなければ、その問題自体が持つ深刻さも悲惨さも中々理解できにくい側面を持っております。子供の再起と一家の生死を賭け、子供自らが人として再び生命を取り戻す為の非常に深刻な闘いでもあります。
ヨット・スクールは、これら障害児と厳しく対時し、矯正、教育、訓練を行う“現実の場”であります。私達は、春夏秋冬を通じ、24時間の勤務に近い形で全力を尽くしながら、障害児に接してきたつもりです。
確かに一民間会社なるが故に持つ、体制や設備面に関しての問題がなかった訳ではありませんが、問題点は問題点として、少しでも改善してゆく方向に向かって、可能な限りの努力がなされていた事も事実です。
しかし、幾多の問題点を抱えながら1人でも多くの障害児を立ち直らせようと、懸命に取り組んできた私たちの本意とは裏腹に“無謀なリンチ”をする“金もうけ主義の暴力集団”というレッテルを貼られながら、今、被告人という立場で、法定に臨まなければならない無念さというものは、真に筆舌に尽くせないものがあります。なぜ、スクールが存在し、何故世の親がスクールを頼り、我が子を入校さすのか……。
“眼光紙背に徹す”という言葉があります。どうか正しき司法の眼を持って事件の背景に潜む本質を見て頂きたい。本質を見る事なく表象的な体質論や体罰論、狭い法律論の中だけで「暴力集団」という名の下に一刀両断に断罪、抹殺されうる可能性への危惧を抱けば抱く程、特に強調して申し上げる次第です。
又、近代デモクラシー国家に於いては「法律」に関する最終判断と責任を持つものは、裁判官であることは明白です。
どうか裁判所におかれてはこの事件の社会的背景、及び体質が奈辺にあったかという点についても、十分目を据えた公正な立場で審理されるよう切望する次第であります。
九、おわりに
〔参考文献〕
(了)