登校拒否、家庭内暴力……(後)


 予備校に行かないことを親から指摘されると、彼はそれが親のせいであるという理由を作り出そうとした。
 父親に向かって、予備校に行くための三条件を提示したのである。
 一、勉強がしやすいようにマンションを買い与える。
 二、車を買う。
 三、月々30万円を支給する。

 父親は彼が高校へ入る前に会社を勇退し、事情があって東京の土地家屋を処分して一家は大阪の郊外へ移り住んでいた。退職金と土地家屋処分によって相当の資金を父親が持っていることを、彼は知っていたのである。
 この若者はそれまでにも理由を見つけては父親から金をせびり取っていたが、奇妙なことに彼はそのすべてを貯金し、キャッシュカードまで持っていた。
 だが、父親もさすがに今度の要求は蹴った。
 その答えが、家庭内暴力である。
 この若者の家庭内暴力はなまじ知恵がまわるだけに、やり方が実に陰険だと、家族は嘆いている。
 たとえば、夜寝ていると、布団の上からわざと手足をふんづけて通り過ぎて行く。それをとがめると、
「エエッ?!ボク、何かしたのォ?」
と、わざととぽけてみせる。
 洗った手についている水を廊下や障子にまき散らす。
 そして、
「エッ?!だれがやったんだろう?」
と、またとぼける。
 ささいな事のように思えるかもしれないが、これに類した神経をさかなでされるようなことを、毎日のようにやられると、家族は精神的に参ってしまう。
 それに、むら気で、ついさっきまで家族となごやかに話をしていたと思うと、2、30分後には狂ったように暴力をふるう。

 「バァさん、あいつ、きょうは会社に行かないらしいぜ」
 ある朝、彼が2階から降りてきて母親にいった。
 母親を呼ぶ時には、バァさん、ババァ、くそババァ。
 父親に対しては、ジイさん、ジジイ、くそジジイ、オイ、こら。
 親のことを第三者に向かっていう場合は、彼、彼女、あのヒト、奴(やっこ)さんたち……。
 おやじ、おふくろといった血の通った呼び方は全く聞かれず、まるで他人のことを話しているように冷ややかである。

 「あいつ」といわれたのは妹のことである。2人きょうだいで妹はOL。会社を休むというので、母親がどうしたのかと2階に上がって娘の部屋をのぞき、アッ!と立ちすくんでしまった。
 ベッドの上に白眼をむいて倒れているのである。
 あわてて119番。病院へかつぎ込まれて、命はとりとめたのだが、妹は、
「もう、家にはいたくない。兄さんが怖い!」
と、真っ青になってガタガタ震えていた。
 兄が理由もなく突然襲いかかり、
「オレをバカにするのか!」
といきなり首をしめたのだという。心配した両親は近くに部屋を借り、娘を住まわせることにした。

 すると今度は暴力の対象が母親に向けられる。弱い者順である。父親が止めに入るのだが、年老いた父親の力では20歳の若者に太刀打ちできず、投げ飛ばされてしまう。弱いと見てとると、父親にも襲いかかる。
 殴る蹴るの暴行を加えたうえ、馬乗りになって首をグイグイしめつける。危険を感じた父親がやむなく110番。すると息子はサッと受話器を取り上げて、こういった。
「父が耐えがたい暴力をふるうので、正当防衛のためやむなく反撃を加えました――」。


 両親はついにたまりかね、戸塚ヨットスクールの門をたたいた。新聞やテレビを通じて以前から知っていたのだが、死亡事故が起こるほど厳しくしごく所へ自分の子供を入れることには躊躇があった、と告白した。
 「よろしくお願いします」
 両親は校長の戸塚宏に頭を下げた。第三の死亡事故が起こらないという保証はなく、それが自分の子供ではないといいきることもできないにもかかわらず、彼らは自分の子供を厳しいしごきのなかへ投げ込もうとしている。
 この家族も一家心中を思いつめた。そして、そこまで追いつめられてやっと、戸塚ヨットスクールへ入れるふんぎりがついた。
 「死んだつもりになって、入れてみよう」
と両親は思ったのである。
 「早ければ早いほど治しやすいんですがねえ」
 つまり初期であるほどたたき直すための体罰は少なくて済むと訪ねてくる親たちに戸塚はいつも残念がるのだが、ヨットスクールに連れてこられる子供たちは必ず、重症になってからである。
 戸塚ヨットスクールの鉄拳は、いわば重症患者を蘇生させるための劇薬なのである。

 ある朝、たまたま河和を訪れていた中年の婦人が海岸を散歩していた。
 浜辺ではいつものようにヨットスクールの、朝の激しい体操が行われていた。容赦なく打ち込まれる鉄拳と足蹴り。「ヒイーッ」と悲鳴をあげる子、「ご免なさい、許して下さい」と泣き叫ぶ子。情緒障害のひどい子ほど、大声をあげて逃れようとする。
 婦人は思わず「暴力はやめなさいッ!」と大声で叫んだ。
 「何もわからんくせに、部外者は黙っとれ!」
 真っ黒に日焼けしたパンツ1枚の男が鋭く睨みつけたかと思うと、泣き叫ぶ子供を婦人の目の前で海へ放り込んだ。
 「ンまあッ!」
 婦人は怒りに震えていた。
 怒鳴りかえした男は戸塚である。まるで孤立無援の戦いを世間に対して挑んでいるかのように、こういう時の戸塚の目もまた、ギラギラと怒りに燃えている。
 戦後民主主義教育のなかで暴力は悪であると信じきってきたこの婦人に代表される「社会正義」と、一家の生死、子供の再起を賭けた戸塚たちの闘いとの間には、あまりにも、大きな断層がありすぎる。

 若者の両親もカウンセラーの所へ通い続けていた。
 「子供さんが学校へ行かないからといって、驚いたり、無理に行かせようとせず、子供さんの気持ちになって、心を開いて話し合いましょう……」
 こんなアドバイスを受けているうちに、子供は悪化の一途をたどっていたのである。

 「あいつ、逃げたのか!」
 「なにッ、キツネもいない!?」
 コーチたちが騒ぎだしたのは、若者が戸塚ヨットスクールに預けられて3日目の夜だった。
 夕食後、みんなが風呂へ行っているすきに若者は脱走した。風呂は、近くにある『角屋』という旅館の好意でもらい湯をしているので、全員が1度に出かけると、合宿所は一時留守になることがある。

 実はその日の夕方、若者を理髪店へやった。頭を丸坊主にするためである。
 彼は面長な白い顔にパラリとたれ下がった長髪を手でかき上げるのが、得意のポーズだった。
 ヨットスクールへ連れてこられる情緒障害の子供たちにとって、頭髪は残された唯一のおしゃれ、プライドの象徴であることを戸塚は訓練の過程で発見していた。
 服装は貧富の差なくトレーニングウエアにゴム草履。食事も全員同じ釜のめし。寝る時は20畳余の広間に全員寝袋でゴロ寝。
 合宿所の広間ほどもある個室を与えられていた社長令嬢も、月々15万円の小遣いをもらっていた医者の息子も、女中にかしずかれていた大商店の子供も、いったんヨットスクールの門をくぐると「出来そこないのガキども」としてしか扱われない。家柄や財産、試験の成績で肩ひじはろうとしても、せせら笑うだけで誰も相手にしてくれない。
 ところが、唯一つだけ頭髪が残されていた。
 長い髪と、その型にプライドのよりどころを求めていることを戸塚は知った。

 「男は丸坊主だ」
と戸塚は考えた。
 この若者にとっても、青白い面長な顔にパラリとたれ下がった長髪と、それをかき上げる仕草は、育ちと成績のよさを誇示することのできるよりどころだったに違いない――。
 ところが、あいにく理髪店は満員だった。やむなく合宿所へ帰ってくると、みんな夕食を終わったところだった。
 理髪店へ行かせる時から「キツネ」と呼ばれる先輩格の合宿生を見張りとして同行させていたので、みんな安心して風呂に出かけた。
 その留守に、若者とキツネは夕食をかきこみ、脱走したことを、風呂から帰ってきたコーチたちが発見したのである。

 「主謀者は新入りの方だな」
 「キツネはうまくたぷらかされたんだろう」
 コーチたちはそれぞれに推測した。知恵の働きでは、中学も出ていないキツネは大阪市立大学数学科の足元にも及ばない。
 コーチたちはただちに手分けして出発、深夜に及ぶ捜索が開始された。
 ヨットスクールでは、直ちに脱走した2人の保護者の所へ電話連絡をとった。
 大阪の若者の父親は悲鳴をあげた。
 「殺されます!あの子が戻ってきたら殺されてしまいます!」
 親が、自分の子供の復讐を恐れているのである。
 家族を護衛するため、ヨットスクールから東秀一、横田吉高の両コーチが大阪へ向けてすぐ河和の合宿所を出発した。

 一方、北海道のキツネの家では叔父が受話器に頭をすりつけんばかりにして脱走をわびた。
 キツネは戸塚の好意で面倒をみてもらっていた子供なのである。
 もともと、キツネは戸塚の治療対象とは少し違った状態の子供だった。彼は気の毒な環境にあった。
 母親は知恵遅れ。病弱ではないが働く意欲が全くなく、家の中は汚れ放題、荒れ放題になっている。父親はそんな家庭をきらって蒸発してしまい、行方が全くわからない。
 叔父がその家に行ってみて驚いた。
 薄暗いあばら屋のなかで、母親が敷きっ放しのフトンに放心したように横たわり、そのそばで幼い兄弟がうずくまっていた。父親が蒸発して、母親が働かないのでは生計が成り立つわけがない。
 最低限の食糧とされる米とミソさえ全く残っていない状態だった。
 以来、この家族は生活保護を受け、理髪店を営んでいる叔父がいっさいの面倒をみることになった。

 この叔父はキツネの母の兄に当たるが、叔父自身、4歳にして食いぶちを減らすために里子に出され、辛苦の末にやっと一人立ちできるところまでこぎつけたばかりである。
 自分の家族の他に、寝たきりの母親と2人の子供の面倒をみるのは容易なことではない。
 一家の世話をするようになって数年たったある日、叔父はテレビで戸塚ヨットスクールのことを知った。
 妹の方はどうにか学校へ行っているのだが、中学生になっていた兄は母親の影響を受け、ブラブラしていて、学校へ行かない。
 叔父としては、早く中学を卒業して、せめて自分の生活費くらいは稼げるようになって欲しいというのが正直な心境だった。
 叔父が家庭の状況など詳しい事情を書いて手紙を出したところ、校長の戸塚から無料で預かりましょうという返事が届いた。

 「オイ、ジェット機に乗ってみたくないか」
 「うん、乗ってみたい」
 無気力な子供の目が一瞬、輝いた。
 「それじゃ、乗せてやろう!」
 ヨットスクールがどんなところか、子供が知ろうはずがない。
 叔父に連れられ河和の合宿所にやってきたキツネは無気力な子供だった。知能も、知恵遅れというほどではないが、あまり高くはない。
 知恵遅れの母親の所で、学校にも行かずに暮らしていたのだから、ふつうの能力を持った子供でもおかしくなる。
 何をやらせてもクズで、ダメな子供だった。
 ゴロゴロしていたせいか体力がなく、1時間の激しい体操など、たちどころにへばってしまう。
 汚い家に住んでいたから掃除の仕方も知らない。まして、ヨットの組み立て、操縦といった技術を要する作業には歯も立たない。
 彼もまた厳しいしごきを受けた。

 だが、戸塚をはじめ各コーチたちが辛抱強く、その激しい訓練を繰り返していくうちに、キツネの状態はある時点から目に見えて好転し始めた。
 4カ月目に入ると、最初連れて来られた時の無気力な婆がウソのように変わり、
「オイ、キツネ!」
と戸塚やコーチたちから声がかかって、用をいいつけられるまでになった。他の生徒たちのまとめ役、新入生の見張りなどである。
 戸塚やコーチが声をかけ、用をいいつけたくなるような子供は、そろそろ親元へ帰すことを検討される対象者である。
 「預かってやった甲斐があったな」
 戸塚はコーチたちと満足げに語し合った。
 キツネが学校へ行かず、無気力になったのは知恵遅れの母親、父親の蒸発、貧困と原因がはっきりしていて、戸塚ヨットスクールが対象としている情緒障害、つまり、豊かな社会が生み出した原因不明の現代病とは異質である。
 にもかかわらず戸塚が引き受けたのは、貧しさが生み出すダメな子供もだれかが立派にして世に送り出さなくてはならないのだから、事情の許すかぎり受け入れようとかねがね考えていたからだった。

 戸塚ヨットスクールには、無料で訓練を受けている貧困家庭の子供が常時何人かいる。
 そして、
「そろそろ、キツネの就職を考えてやらにゃいかんなあ」
と、戸塚やコーチは話し合っていたところだった。
 叔父からもどこか適当な就職先を世話してもらえまいかと頼まれ、知人たちに探してもらっていた。
 その矢先の脱走。
 今まで何度チャンスがあっても逃げなかった模範生が脱走したのだから、誘い込んだ首謀者はよほどの知恵者なのだろうが、キツネを信頼しきっていただけに、戸塚やコーチたちの落胆は大きかった。

 脱走してから2日目の夕方、キツネの方が先に、叔父に伴われて合宿所へ戻ってきた。
 「コラ!信用を失うのは簡単だが、もういっぺん築くのは大変だぞォ。わかっとるのか!」
 開口一番、コーチの可児煕允(ひろみつ)がいった。キツネはその意味がわかったのか、わからないのか、キョトンとした顔をして正座している。
 キツネは一緒に逃げた若者と東京で別れ、その若者の元同級生の家で恵んでもらった金で上野から青森まで汽車、青森から青函連絡船で函館へ渡った。連絡を受けた叔父は、到着時間不明のため、夜から一睡もしないで函館の連絡船到着口に張り込み、朝方、フラフラと降りてきたところを発見して、飛行機で連れ戻したのだという。

 キツネが戻った翌日未明、逃げた若者が横田吉高、山口孝道両コーチに両脇を固められて連れ戻されてきた。真夜中少し前に東京の元同級生宅を出発、暴風雨の東名をタクシーで河和まで走ってきたのである。
 元同級生の父親も最後には折れて、若者を両コーチに引き渡した。最後には若者本人が電話で大阪の父親に1時間にわたって訴え続けた。
 「お父さん、ボクは東京で働き、自活するという形でつぐないをしたい。あなたはどうしてもボクにリンチを受けさせ、復讐したいのか」
 身勝手な言い分だが、知らない者にとっては説得力のある迫り方であった。同級生の父親は震えながら耳を傾けていた。
 だが逆に、息子がそこまでいうのを実の父親が蹴ったというのは余程の事情があるに相違ないと、元同級生の親は感じたらしい。若者から受話器を受け取ると、大阪の父親に向かって、
「では、あなたがいったとおりにしていいんだね?」
と念を押した。ヨットスクールに渡すぞという意味である。
 「お願いします」
と大阪の父親はしっかりした口調でいった。

 「お前は、自分のやった事の重大さをわかっているのかッ!」
 合宿所へ連れ戻された若者に可児コーチがいった。
 可児ともう1人の加藤忠志コーチはこもごもキツネの家庭の事情、戸塚の好意によって面倒をみてもらい、立ち直る寸前であったことを教えたうえで、可児が再びいった。
 「お前は立ち直りかけていたキツネの人生をだいなしにしてしまったんだ。その責任をどうやってとるつもりなのかッ!」
 若者は黙ってうつむいた……。
 2人の脱走は多くの人々を振り回した。
 東、横田、山口の3コーチは西に東に駆けまわり、留守をあずかったベテランの可児、加藤両コーチも徹夜の態勢で各方面に指令を出していた。2人が戻ったあと、各コーチは海に出るまでのわずかな時間を、綿のように眠った。

 合宿所に連れ戻された若者とキツネの2人の脱走者は厳しい調べを受けた。
 2人の逃亡の経緯を追うと、情緒障害の実態が社会にいかに認識されていないかが浮き彫りにされる。金属バット殺人、祖母殺し、パリ人肉事件、数々の通り魔事件などが情緒障害者による犯行の可能性があるだけに、背筋に冷たいものを感じる。
 2人は河和から東京へ、ヒッチハイクで3度、車を乗り継いでいるが、3度とも、自分たちがヨットスクールでいかにひどい暴行を受けたかを切々と訴え、助けを求めている。しゃべったのは常に若者である。キツネにはそんな才覚はない。
 車の人たちは3人とも、いたく同情して乗せてくれ、うち2人はそれぞれ2千円をとりあえずの食事代として恵んでくれている。
 そして、キツネを伴った若者は元同級生の両親に対しても同じことを訴え、両親は一時、それを信じた。

 2人を調べていたコーチの加藤忠志はその若者に向かっていった。
 「みんなに何といったのか、正確にもう1度いうてみィ!」
 若者はその気迫に気圧(けお)されていいよどんでいたが、加藤に再度きつく促され、
「耐えがたい暴行を受けた、といいました」
と告白した。
 まわりにいたコーチたちがいっせいに立ち上がり、
「耐えがたい暴行とは、こういうことかッ!」
といいざま、強烈なパンチを相次いで若者に打ち込んだ。
 「痛いッ!暴力はやめて下さい!」
と悲鳴をあげて逃げようとする若者。
 「そうか、痛いか」
 コーチたちはなおも容赦しない。
 「お前が半殺しにしたお父さん、お母さん、妹はもっと痛かったんだ。わかったかッ!」
 加藤コーチは、
「お前はみんなに大ウソをついている」
といいながら若者の目を睨みすえ、机をドンとたたいた。
 「自分が親きょうだいを半殺しにした凶悪犯だということだけは、誰にもいわなかったろう、このひきょう者めがッ!」
 若者は目元をピクピクと引きつらせ、下を向いた。

 戸塚ヨットスクールがもし「戸塚精神病院」の看板を掲げ、戸塚やコーチたちがドクターの免状を持っていたら、世間は躊躇(ちゅうちょ)することなく逃亡した者を病院へ引き渡すであろうし、逃亡者たちのいうことを信じもしないであろう。
 情緒障害の持つ危険性と悲劇は、家族に対しては狂気と選ぶところのない狂暴性を発揮するにもかかわらず、他人の目には全く異常が感じられないところにある。

 だが、キツネは再び脱走した。そして、ヨットスクールには戻ってこなかった。
 2度目は、北海道の叔父に連れ戻されてから数日後である。
 理由は容易に想像できる。
 キツネは北海道までたどり着いた時、ほんのわずかだが母親と妹に会っている。働く意欲のない、知恵遅れの母親であろうと、中学の子供にとって母親と家が恋しくなかろうはずがない。
 さらに、脱走者に対するヨットスクールのペナルティーはひときわ苛烈である。キツネは矢も楯もたまらず、心が北海道へ飛んだに相違ない。

 2度目の脱走から3日目に、愛知県警岡崎署から合宿所へ、
「子供を保護しているから引き取りに来るように」
との連絡が入った。
 キツネだった。
 河和からフラフラ岡崎市まで行ったところを補導・保護された。警察が北海道の叔父の家に連絡すると、ヨットスクールへ帰らせて欲しいとの依頼だったのである。
 コーチの東秀一ら4人が岡崎署へ向かった。ところが着いてみると、引き渡せないという。北海道の叔父から電話が入り、キツネの母親が返して欲しいといっているので、自分がこれから引き取りに行くと態度を変えたのである。
 「そんなバカな!」
と東らは食い下がったがダメだった。
 「キツネにつままれたみたいやなあ」
 東らの報告を聞いて、だれかが冗談をいったが、戸塚もコーチたちも笑わない。
 「なんということか」
 「子供を育てられなかった母親。義務と責任を放棄した母親に、子供を返せという権利はあるのかね」
 「せっかくここまで良くなったのに、キツネのヤツ、またダメになってしまうんじゃないだろうか……」
 コーチたちの表情は怒りとも失望ともつかず、複雑である。
 「もういい、忘れよう!」
 戸塚が憮然(ぶぜん)として、いった。
 無料で引き取って立ち直らせ、就職と学校の世話までしようとしている気持ちを裏切られた無念な思いを懸命に抑えているかのようであった。