"自殺"から立ち直る少年


 「ごめん下さい!」
 女性のはずんだ声が、2階のコーチたちの部屋に聞こえたのは、戸塚やコーチたちがキツネ逃亡事件で悄然(しょうぜん)としている時である。
 合宿所の入り口に、自転車に乗った少年が、母親くらいの年齢の女性に伴われて立っていた。
 「この子供さん、ヨットスクールを探してみえたので、お連れしたんですよ」
 応対に出た校長の戸塚宏に、その女性はいった。
 合宿所は名鉄河和線の終点、河和駅から歩いて5分ばかりのところにある。その女性は河和駅の近くで自転車に乗った少年に道を尋ねられ、わざわざヨットスクールまで連れてきてくれたのだという。
 母親のように見えたのだが、違っていた。
 とすると、少年は1人でやってきたというのか!?
 「1人で来たのか?」
と戸塚は尋ねた。
 少年はコックリとうなずいた。

 子供は、情緒障害児を見慣れた戸塚の目には、明らかにそれとわかる顔つきをしている。目は周囲に敏感に反応してクルクルと回る動きをやめてしまい、無感情にとろんとよどんでいる。顔は色が青白く、表情がない。身のこなしに、どことなくキビキビとしたところが感じられない。言葉数が少なく、歯切れがよくない。
 「情緒障害の子供が……1人で……オレの所へ……やってきた……」
 戸塚は心のなかでつぶやいた。自分の心臓の鼓動が急に早まるのが感じられた。彼は明らかに興奮しているのである。
 「お父さんか、お母さんにいわれて来たのか?」
 少年は黙ったまま、首を横に振った。
 「それじゃ、キミが自分で来ようと思ったのか?」
 「ハイ」
と少年は、小さいが、しかしはっきりとした声で答えた。
 「信じられん!」
 戸塚はまた心のなかでつぶやいた。
 情緒障害の子供が自分の意思によって、1人でスパルタ訓練を受けにやってきた――これは戸塚が情緒障害児を治すことを目的としたヨットスクールを開いて以来、初めてのケースであり、奇跡に近い驚きであった。
 だれだって、殴る、蹴るの厳しい訓練を好んで受けたい、受けさせたいと思う者はいない。
 出来得れば安易な方法で治すことはできないかと迷うからこそ、生きる死ぬの極限状況にたち至るまで、戸塚の門をたたかないのである。
 それだけに、この少年の闖入(ちんにゅう)は、面倒をみてやったキツネと、その家族によって味わわされた戸塚たちの失意と怒りと憂鬱を忘れさせてくれるに充分なハプニングであった。

 少年は、繊維で知られる愛知県のある都市の家を夜中の1時に出発して、道に迷いながら約10時間、自転車で走り続け、河和にたどり着いたのだった。
 「両親の許可は得てきたんだろうね」
 中学3年になるという少年に戸塚は尋ねた。
 「……」
 「どうなんだ」
 少年は首を横に振った。
 「両親はここへ来ることに反対なんです」
 「どうして……」
と聞こうとして戸塚はやめた。理由はだいたい想像がつくからである。
 「暴力をふるうし、死亡事故が起こっているような所へは行くなというんだろ」
 「ハイ」
と少年は素直に認めた。
 「そんな所へ、どうしてキミは来る気になったんだ」
 「あのゥ……ボク、自殺をしようとしたんです」
 「なにィッ!?」
 聞いている方がギョッとするほど平然と少年は語っている。
 「それで、死にきれなくて……だけど、地獄を見たんです。自分がゴキブリになって、みんなにいじめ殺されているところや、家族や友だちから、"お前のようなやつは、いなくていい"と追いたてられているとこやなんか……。
 で、死んでもこんなに苦しむんだったら、死んだつもりになって、自分を苦しい訓練のなかにほうり込んでみようと思って。
 あのゥ、自分が甘えていること、わかっているんです。だから、そんな自分をメチャメチャに、粉々にくだいてしまいたくって……」
 寡黙だった少年が憑かれたように語り始めていた。情緒障害の少年が自分の心の動きを語るのも稀有(けう)な出来事である。

 戸塚ヨットスクールへ連れてこられる子供たちのほとんどは重症である。彼らはヨットスクールへ連れてこられること自体に抵抗している。まして、自分がなぜ連れてこられることになったかなど、語ろうはずがない。
 話は親から聞くほかないのだが、それはあくまでも親の見方、親の感じ方であって、肝心の子供がどう思い、どう感じているか全くわからない。
 理由を説明することなく登校を拒否し、理由を説明することなく親に暴力をふるう。
 ある日突然の、理由なき反抗――。
 周囲の目には、情緒障害はそう映るのである。
 そんななかで、この少年は自らの意思でドロ沼からの脱出口を見つけようと試み、自ら情緒障害の心象風景を語ろうとしている。
 「兄たちは2人ともちゃんと大学へ行って、1番上の兄は東京で就職していますし……変なのはボクだけだから、家ではボクのことを気ちがいだというんです。ボクだけがヘンで、気ちがいだといわれて……。だから、精神病院へ運れて行かれたんです」
 少年は淡々と語り続けた。
 「1週間に1度、行って、注射を打ってもらうんですね。その時は気分がおさまったのかなァ……いや、あまり変わらなかったみたい。でも、ボクは怖くなったんです。こんなことを続けていると麻薬患者みたいになってしまうような気がして。で、病院へ行くの、やめてしまったんです。数ヵ月、通ったかな。家族は続けて通えといったんですが、ボクはどうしても行きたくなかった。すごく抵抗して、やめてしまいました」
 ほとんどの親は、新しい心の病気である情緒障害がどういうものであるか、どこへ行けば自分の子供に最もふさわしい治療を施してもらえるのかを知らない。
 まず手近な街の精神科医へ相談に行くというところから、情緒障害との苦闘がスタートするケースが多い。
 この少年も同じような過程をたどっている。

 「あのゥ……ボク、以前にも1度、自殺を図ったことがあるんです……」
 少年は考えながら、ゆっくりと、しかし感情の動きは全く見せずに語り続ける。
 「中学2年の時です。2階の屋根から飛び降りました。理由はなんだったかなァ……でも、足の骨を折っただけ。本当に死ぬ勇気がなかったんですね……。
 母さんが、ある宗教団体の女の人を連れてきてくれました。その人は何度も自殺を図ったことがあるのだけれど、その宗教団体に入って、いまは立派に生きているといっていました。
 それで、父とボクがその宗教団体へ入りました。ボクのヘンなのを治すためです。母さんは以前から入っていました。
 でも、毎日、お経を唱えないといけないでしょ。そうしないとバチが当たって、ますます悪くなるゾっていわれたんです。なんとなく、怖くなって……それなら初めからやめとこうと思って、ボクはやっていません。
 父さんと母さんはボクが治るように一所懸命やってくれていますが、でも、少しもよくなりませんでした。
 そんな時、ヨットスクールのことをテレビで見たんです。1年くらい前だったかな……」
 少年はすぐ、ヨットスクールへ行きたいと父親に訴えたのだが、聞きいれてもらえなかった。
 第二の死亡事故が起こった直後だったからである。
 よほどのことがないかぎり、死ぬかもしれないような危険な所へ可愛い息子を送りたくないと思うのは、親として当然のことである。

 テレビでヨットスクールのことを知った少年はすぐ、
「行こう」
と思った。
 自分が学校に行けない理由は意志の弱さにあると思っていたからである。
 「ぜひ、行かせて下さい」
と少年は両親に頼んだ。
 だが、親は頭から認めなかった。暴力によって鍛え、しかも死者が出ているような所に、とんでもない、というのである。
 彼はやむなく、諦めたのだが、ヨットスクールのことはそれ以後もずっと頭を離れなかった。

 その後、少年の症状は徐々に悪化していった。
 部屋を暗くして閉じこもる。自分の手で頭をガンガン殴る。壁に頭をぶっつける。教科書をビリビリに破いてしまう。だれもいない所でウォーッと叫び声をあげる。
 どうしようもない自分の気持ちを抑えかねて、夜中に外へ飛び出し、思いっきり駆け足をして、やっと気分をしずめることもあった。
 自分の気持ちをわかってくれない父や母に復讐したい衝動に襲われた――。
 本人は自覚していないが、これは家庭内暴力の予兆である。
 少年は、何とかしなければ、と、日々あせっていた。
 しかし、あせっても何もすることができない。ダメな人間だ、と、ますます自分を追い込んで行く。
 そしてついに、2度目の自殺を思い立った。
 今度は絶食である。
 一食、二食、三食、食事に呼ばれても自分の部屋から出ず、母親が食事を運んできてくれても手をつけない――。
 あせりと空腹のなかでおそらく夢を見たのだろう。少年はそれを「地獄を見た」と表現している。

 彼は死んでも天国には行けなかった。地獄で彼はゴキブリになり、家族や友人や先生、級友たちみんなに、いじめ殺されようとしている……。
 「いやだ、死にたくない!」
と叫んだと思った瞬間、目が覚めた。胸が締めつけられていたように重苦しかった。
 「死んでもあんなに苦しむんだ。それなら厳しいシゴキのなかに自分を放り込んで、精神も肉体も粉々になるまでいじめてみよう」
 彼はふと、ヨットスクールのことを思った。
 机の上の目覚まし時計を見ると、時間は真夜中を回っていた。あたりはシーンと静まりかえっていた。父も母も兄も、眠っているようである。
 身支度を整えた少年は足音をしのばせて外に出、自転車に乗って夜の闇へこぎ出した。

 どれだけ眠ったろうか。
 ひんやりとした冷気を感じて、少年は目を覚ました。あたりはうっすらと、夜が白みはじめている。身体を横たえているのは山の中の、道路わきの草むらだった。記憶がだんだん、よみがえってきた。
 道に迷ったのである。
 彼は地図をたよりに、自転車を走らせていた。分かれ道にくると地図を開いて河和への方向を確かめていたはずである。それがいつの間にか、行けども行けども河和への標示のない山道に迷い込んでしまった。
 腕時計を見ると、午前3時半を指している。
 鬱蒼(うっそう)と茂った木々が一面の暗やみのなかで怪物のように迫ってくるように感じられる。
 車は1台も通らない。時折り吹き抜ける風のたてるさわさわという音が、不気味さをいっそうかりたてた。
 「怖い」
 少年は、家を出てから初めてそう感じた。

 自転車を道路わきに止め、自分は草むらのなかに身を隠すようにちぢこまった。息をこらして、じっと怖さに耐えていたが、いつの間にか眠りにおちてしまった。
 家を出てから走り続けてきた疲れが、少年の小さな身体を襲ったのである。
 目を覚ました少年は再び地図を開き、もと来た道の方へ、山道をくだって行った。しばらく走ると、やがて大きな道路に出た。トラックが1台、全力で近づいてくるのが見えた。
 少年は道の真ん中に出て、両手を大きく広げた。ギギーッとタイヤのきしむ大きな音をたてて、トランクが止まった。
 「あのう……河和へ行く道は……」
 少年はおずおずとして尋ねる。
 おっかない顔つきの運転手は一瞬、怪訝そうな表情を見せたが、
 「オレの行く方向だ。この道を真っすぐについておいで」
 顔に似ずやさしくいうと、エンジンをいっぱいにふかして走って行った。
 少年は、トラックの巻き上げて行く砂ぼこりの跡を追って、またペダルを踏んだ。古びた自転車のペダルは、ギイギイと苦しそうな音をたてて重かった……。

 少年の家には父の乗る車が1台、兄のオートバイが1台、自転車が2台あったが、彼は新しい自転車を家族のために残し、自分は古い方に乗って家を出た。
 情緒障害の特徴は自分勝手で他人に対する思いやりのないことだが、この少年は家族を思いやる心のゆとりがまだ残っている間に、自らドロ沼を抜け出そうと試みる行動を起こした、珍しい例である。


 「母さん、ぼうずが、いない」
 父親が妻を起こして、いった。
 「エエッ!」
 母親は床からガバッと跳び起きた。
 午前6時ごろ、父親はなんとなく息子のことが気になり、2階の部屋を見に行った。やたら開けると息子はすごく怒るので、そっと様子をうかがっていたが、部屋の中に人のいる気配がしない。
 「オイ!」
 父親が呼んでも返事がない。
 開けてみると、やはり姿は見えなかった。部屋の中はきちんと整理されている。
 2階には、大学へ行っている、すぐ上の兄の部屋もある。しかし、彼も弟の婆が見えなくなっていることに、全く気づいてはいなかった。

 「また、あそこでは……」
 両親も兄も、3人が一様に思い浮かべたのは、手洗いであった。
 少年は、父親が学校へ行けとムリヤリ引っ張り出そうとすると、手洗いに入り込んで中から鍵をかけ、篭城(ろうじょう)することがよくあったからである。
 だが、今度は手洗いにもいない。
 3人は手分けをして家じゅうをくまなく捜したが、やはり少年の婆は発見できなかった。
 近所を捜し回っても、いない。
 「お前に何かいっていたか」
 父親は兄に尋ねた。
 「いや、何も聞いていない」
と大学生は答えた。
 古い自転車が1台なくなっているから、それに乗って行ったことはたしかのようである。
 母親は少年の衣類を調べてみたが、着替えを持ち出した様子もない。着替えを持たずに家出をしたとなると――。
 「まさか、あの子……」
と母親は顔をくもらせた。
 「そんなはずはない!」
 父親は妻の不安を打ち消すように強くいった。
 2人とも自殺のことを心配していたのである。

 「しばらく待ってみよう。警察に保護されているかもしれない。それでも、どこからも連絡がなければ、捜索願を出さなくてはならないだろう。何かあったら、すぐ連絡をくれ」
 そういい残して父親は会社へ出かけた。 大学生の息子も夏休みのアルバイトに出かけた。
 母親は1人、息を殺して、息子の無事を祈った。
 「リーン」と、電話のペルが鳴ったのは昼少し前である。
 母親はあわてて受話器をとった。
 「もしもし、もしもし……」
 電話は戸塚ヨットスクールからだった。
 子供が1人で来たので、預かっている、という連絡である。
 母親は子供が無事生きていたことを知ってホッとした。しかしまた、なんで戸塚ヨットスクールのような所へ行ったのだろう?
 今度はそちらの方が心配になってきた。
 少年は以前にも戸塚ヨットスクールへ行きたいといったことがあり、一家は戸塚ヨットスクールの名前も、そこがしごきのような厳しい訓練をして、死亡者の出ていることも知っていたのである。

 母親からの連絡を受けて、父親は会社から、兄はアルバイト先から、すぐ家へ戻ってきた。
 「そんな所へやってはいかん!早く連れに行かんと……」
強い調子でいったのは大学生の兄である。
 母親も兄のいうとおりだと思った。
 「……」
 父親はちょっと考え込むような複雑な表情を見せたが、おとなしい彼は兄や妻の意見に強いて反対しなかった。
 一家はすぐ、河和へ向かった――。
 そのころ、少年は早くも海に出て、ヨットに乗っていた。
 気の早い戸塚宏は、少年の話を聞くとすぐ、
 「よし、来い!」
といって海へ連れて行き、他の生徒たちと一緒にヨットに乗せた。
 河和の合宿所に着いてすぐヨットに乗せてもらえるというのは、異例のことである。
 重症になってからいやいや連れてこられるほとんどの子供たちにとっては、まず厳しい監視を受けながら狭い押し入れの中で第一夜を過ごし、翌早朝は激しい体操としごきの洗礼を受け、そしてまた、いやいやながら海に放り出されるところから合宿生活は始まるのである。
 少年に対する異例の応対は、彼が登校拒否のドロ沼からはい上がろうと、1人ではるばる自転車に乗ってヨットスクールを訪ねてきたことに、戸塚がいかに感激したかを物語っていた。

 帆に風をはらませて颯爽(さっそう)と滑って行くヨット、転覆して海中に放り出される少年たち、コーチの怒号……。
 自らすすんで来たとはいえ、少年にとって目の前で展開される光景は想像をはるかに超えるものであり、彼は自分の感情を整理できずにとまどっていた。
 しかし、どこまでも広がる広い海と帆を吹き抜ける潮風の匂いは、家の建てこんだ自分の街では味わえない爽やかな感じを少年に与えていた。
 その街から、家族が自分を連れ戻しに向かっていることを、少年はまだ知らなかった。

 「いやだ。ボクは帰らない」
 少年は小さな声だが、はっきりした口調でいった。
 家族の話し合いは1時間以上にわたって続けられていた。
 ヨットスクールから連絡を受けた両親と大学生の兄の3人が、自分たちの住む愛知県内の街から名鉄電車に乗って河和に駆けつけてきたのは、少年が自転車で到着した日の夕方近くである。
 「これは、ひどい所だ」
 合宿所を訪れる家族の多くがそう思うように、彼らも廃屋のように古びた建物と雑然としたたたずまいに驚き、死亡事故、リンチを加える暴力教室といった、すでに抱いているイメージと重なって、
 「こんな所へ子供を置いておくわけにはいかない」
と思うのである。

 ぜいたく病でもある情緒障害の子供のほとんどは、クーラーが付き、家族から隔絶された快適な個室を与えられるといった環境のなかで育っている。
 それがごく当たりまえになっている今日の家族たちにとって、合宿所が異様なショックを与えるのもムリからぬ話である。
 それでも親たちの多くは、その驚きを言葉にしないまま飲み込んでしまうのだが、なかには、
 「個室はございませんのかしら」
 「あの子は毎日でもいいくらいステーキが好きですのよ」
等々の感想を述べる率直な母親もいる。
 一方、戸塚にしてみれば、だからこそ、そうした子供たちを鍛え直すには粗衣粗食の環境が必要だとの信念をますます強めることになる。
 「ステーキで家庭内暴力が治るのなら、帝国ホテルヘ連れて行かれたらいかがでしょう」
 社交辞令をきらう戸塚は平然といってのけるのである。

 「これは困った雲行きになってきたぞ」
と留守を預かるコーチたちは思った。
 最初はかたくなに抵抗していた少年も、兄と母親の強い説得に、心が大きく揺れているようである。
 都合の悪いことに、校長の戸塚は用ができて合宿所を留守にしていた。
 1人でやってきた少年を預かると決めたのは校長の一存である。自分が留守の間に連れ帰られたとあっては、彼もがっかりするだろう。
 が、保護者の意思を無視するわけにはいかない。
 「校長がいてくれればなあ」
とコーチたちは思った。
 「オイ、帰るぞ!」
 兄に促されて少年はしぶしぶ歩き出した。
 「お騒がせをしましたが、連れて帰ります」
と父親がいった。


 「戸塚先生、たいぷ時間がかかっとるねえ。うまくいっとるんだろうか……」
 河和から家族に連れ戻された少年の家の前。後部座席の母親を、運転席の娘が振り返った。
 「奥さんとお兄さんが強く反対しているといってみえたから、難航しとるかもしれん。うまくいくといいんだがねえ」
 母親も心配そうに答えた。
 戸塚が少年を連れ戻した両親を再び説得するために家の中に入ってから、かなりの時間が流れていた。

 河和で『角屋』という旅館の女将をしている姉から、妹であるこの母親のところへ、戸塚が少年を連れ戻した家族の説得に向かうから何かと力添えをよろしく、という電話が入ったのはその日の朝である。
 姉妹は繊維で知られるこの市の素封家に生まれ、姉は徳川時代から河和に続く老舗の旅館に、妹はこの市で手広く建築業を営む家に嫁いでいた。
 『角屋』の主人、つまり姉の夫、岩本鋼一は町会議員7期、副議長をつとめる町の実力者だが、早くから戸塚の仕事に刮目(かつもく)し、死亡事故が起こった時にも教育委員長をつとめる医師の辻顕吉とともに、陰に陽に戸塚を支援した。
 この市で民生委員をつとめる妹の一家も姉たちから戸塚の話を聞かされて感心し、登校拒否や非行で前の学校を放校され、ヨットスクールで立ち直った生徒たちを新しい学校に受け容れてもらうべく走り回っている。
 無類に世話好きなこの一族は戸塚のよき理解者であり、死亡事故によって世間から批判と冷たい目を向けられたヨットスクールにとって、心強い支援者である。
 この日も、姉の連絡を受けた妹は、娘の運転する車で戸塚を少年の父親の会社に連れて行き、さらに少年の家まで案内してきた。

 戸塚は前日、外の仕事から帰って少年が家族によって連れ戻されたことを知り、すぐ、この市へ家族の説得に出向いてきたのである。
 まず会社に父親を訪ねたのは、コーチの報告から父親が少年の立場を理解しているようだと判断したためである。
 「子供は自分で立ち直ろうと苦しんでいるのだ。その足を引っぱるようなことを親はしてはいけないんじゃないだろうか。費用もご心配はいりませんから、まかせて下さい」
と戸塚はいった。
 前日、少年を連れ戻しに来た時から1人思い悩んでいるふうだった父親は、戸塚の言葉に決意を固めたようである。
 「よろしく、お願いします」
と、父親は頭を下げた。
 しかし、問題はその後に控えていた――。
 父親はヨットスクールに息子を預ける決意を固めると、会社から自宅へ電話を掛けて本人を呼び出し、
「これからすぐ行くから支度をしておくように」
と告げた。
 ところがこの時点で、強く反対している大学生の兄と妻は、そのことを知らされていない。
 父親の車に先導されて、彼の会社から自宅へ向かう車の中で支援者の母と娘が、
「先生、よかったですね」
と父親の説得成功をねぎらったのに対し戸塚は、
「いや、これからが本番のようですよ」
と答えた。

 事態は戸塚の予想どおりに推移した。
 父親は自宅に帰ると少年だけを呼び、
「先生の所へ、ごやっかいになることになった。がんばって来い」
と激励した。
 少年は黙ってうなずいたが、少しも、うれしそうな顔をしなかった。
 せっかく自分で意気込んでヨットスクールヘ行ったのを連れ戻しておいて、大人は身勝手だと思ったのかもしれない。彼は後に父親を優柔不断だといっている。
 息子の気持ちを理解しながら、それを強く主張できない父親としては、戸塚が説得に来てくれたのを奇貨として、妻と兄の反対を一挙に押し切ろうとしているのである。
 一方、戸塚は、
「責任をとらない連中が出しゃばりすぎるから、世の中がおかしくなっている」
という考えの持ち主である。
 今回も家族3人の関係を承知のうえで、意識的に父親とだけで話をつけようとしている。
 発言は平等――というのが、一般通念と信じられている社会と折り合うはずがない。

 「では、出かけようか」
という雰囲気になっているところへ、母親と兄が出てきた。
 「どういうことでしょうか」
と母親が聞いた。
 戸塚は一瞬ムッとした様子だったが、父親を説得した時と同じような話を繰り返した。
 「しかし、この子は今度こそ学校へ行くといっていますし……」
と母親はいった。
 「これまでも同じことをいいながら、やはり行かなかったろうが……」
と小さな声でいう父親を無視して、大学生の兄は戸塚を指さしながら、
「いやがる子供を連れて行って、あなたは治す自信があるんですか!」
と詰問するような口調でいった。
 戸塚は、クドクド口をはさむ少年の母と兄の態度に激怒し、
「もういい。帰る!」
と立ち上がった。
 「先生、申しわけありません」
と戸塚の腕をとってなだめる父親。
 「お前たち、謝りなさい!」
父親は妻と兄に命じた。
 2人は意外な事の成り行きに茫然と立ち尽くしている。
 その時、少年は突然、立ちあがり、
「ボクはヨットスクールへ行く!」
と戸塚のあとを追った。
 母親も兄も、今度は彼をとめようとはしなかった。

 少年の家庭は会社の課長である父親、家事を守る母親、大学を卒業して東京で勤めている長兄、現在大学に通っている次兄、それに少年の5人家族である。
 少年自身の回想によると、彼は小学校の3年生まで快活でよく遊び、友達もたくさんいる子供だった。
 一つの転機は小学校4年に塾へ通いはじめたことだったと、本人は分析している。
 そのころから彼は成績を大変、気にするようになっていく。
 登校拒否を起こすまで、彼は成績ではクラスの上のグループに入っていたのだから、成績が悪いわけではない。
 ところが、この少年はいわゆる完全主義者であるうえに気が弱い。
 その結果、成績は満点をとりたいと願う一方で、ひょっとしたら、思いどおりの成績がとれないのではないかという心配が先行するようになる。
 これは登校拒否の前兆的症状であって、この気持ちがさらに強くなると、
「だから学校に行きたくない」
ということになるのである。

 これは精神力の欠如を物語っている。精神力が強ければ、満点をとるために苦しみに耐えて努力をするであろう。あるいは、自分の能力の限界を悟って、満点をとろうなどという、出来もしない野望を捨てるか。これはこれで、環境に適応する能力を持っていることになる。
 少年の登校拒否がはっきりした形を見せるのは中学校の3年になってからだが、すでに小学校4年のころから、その傾向が彼の心を徐々に浸蝕しはじめていたわけだ。
 そのうえ、彼が小学校6年の時、実母が亡くなった。現在の母親は継母である。
 実母が亡くなった時、少年はその意味の大きさを、それほど強く感じていたわけではない。
 しかし彼は、時とともに深い悲しみに沈んでいった。

 父親は、少年が小学校6年から中学2年にかけての重要な成長期に母親を失い、男ばかりの家庭で満足に食事の支度もしてやれないような状態に置いたことが、なんらかの形で登校拒否につながることになったのではないかと心を痛めている。
 その後、男手ばかりではというので、新しい母親を迎えたのである。
 その際、父親は事前に、それとなく母となるべき女性を子供たちに会わせたうえで、子供たちの考えを聞いた。子供たちは父親抜きで相談して、賛成している。
 新しい母親が少年のヨットスクール入りに反対したのは、実の母でないから子供を暴力をふるうような所に入れたのだ、といわれるようなことはしたくないという気持ちが、強く働いたからであった。
 これに対して戸塚の方は、子供が立派に自立していけるようにしてやることこそが愛情であって、この母親のような考え方は、好意的にいっても誤った愛情、厳しくいえば世間体を気にする、自分かわいさ以外のなにものでもない、という考え方である。
 しかし、世間の圧倒的多数は戸塚ヨットスクールを、死亡事故とリンチの暴力教室としてしか理解していないのが現実なのだから、この母親が、そういう所へ子供を入れたくないと考えたとしても、母親ばかりを責めることはできない。

 父親が、実母の死とその後の空白、継母を迎えたことなどを、子供の登校拒否に何らかの影響を及ぼした原因ではないかと懸念しているのに対し、少年の方はそうしたことを登校拒否の理由として考えたことはないといっているのだが……。
 少年自身の挙げている理由は、完全主義、気の弱さ、思いつめ、無口、ひっこみ思案といった自分の性格である。
 「あの当時は……」
と少年は語る。
 「母さんが死んだ時にはそれほどでもなかったのに、時間がたつにつれて、なんで死んでしまったんだ!と悲しい気持ちがだんだん大きくなっていったんです」
 おそらく、あまりのショックに悲しいと感じるいとまさえなかった、ということなのかもしれない。
 「しかし」
と彼は続けた。
 「新しい母さんを迎えることは、ぼくたち兄弟が賛成して決めたことだし、新しい母さんは本当によくやってくれています」
 大変、物わかりがいい。物わかりがいいのに自分をどうすることもできないのが、登校拒否初期の子供の特徴のようである。

 少年が登校拒否を起こしたのは、中学3年になってからである。
 教頭の吉森三郎によると、1年は授業日数248日のうち欠席3日、成績は9科目のうち5が2つ、4が4つ、3が3つ。1年9組の学級会長だった。
 「成績は5段階評価の平均4。上の下。ともかく上のグループに属していて、まずまず。学級会長は生徒の互選だから、他の生徒の人望もあったということでしょう」
と一年の担任だった坂野忠夫はいっている。
 「だから、あの子が登校拒否になったと聞いた時は、本当にびっくりしました」
 少年が本格的に学校へ出なくなったのは3年の2学期からである。
 本人によると、夏休みの宿題の作文が思うように書けなかった。2学期の第1日目。父親に頼んで「少し遅れるから」と学校に連絡してもらい、作文を書き直していたが、完全主義者でかつ気の弱い彼としては、学校には遅れる、作文も期限に間に合わないということで、
「どうにでもなれ」
と学校へ行かなくなってしまった。
 彼はそんな自分自身がいやになってしまう。
 そして、自殺を試みるなど、いやになった自分をいためつける一方、寺へ修行に行きたい、運動でめちゃくちゃに自分を鍛えたいと口走るなど、弱い自分から抜け出そうとあがくのである。

 3年は授業日数238日中、欠席120日、成績は2が8つ、1が1つ。5と4はなし。1年の時とは雲泥の差である。
 しかし、この完全主義者の少年は、もう1度やり直そうとする。同じ市内で中学を転校し、3年生に入り直した。
 市内の一流高校を目指すためだ。
 「卒業しようと思えば出来なくはなかったのだから、実に珍しいケースです」
と吉森教頭はいった。

 新しい中学での1学期、4月、5月はカゼで2日休んだ以外は皆出席だったが、6月にまたぶりかえし、11日間欠席した。
 担任の西原正裕が家庭訪間。
 「人間なんてそんなに完全なもんじゃないぞ。宿題も、半分でも、ええじゃないか。オレだって完全な人間じゃない」
と自分の体験を交えながらさとしたところ、気が楽になったのか、以後夏休みまで皆出席。
 ところが、夏休みにまたもや宿題がはかどらない、学校には行きたくないという気持ちがぶりかえして自分がいやになり、自殺も出来ず、ヨットスクールへ飛び込んできたというわけである。

 弱い自分から抜け出したい、立ち直りたいと思っていた少年に1つのきっかけを与えたのが、マンガの本だった。
 中学2年の時、大学生の兄が、
「面白いよ」
と教えてくれた小山ゆうの『がんばれ元気』というシリーズ。主人公の気がやさしくて、勇敢な少年に彼は心酔した。そして、自分も主人公の少年のようになりたいと熱望するようになった。
 意味もなく女の先生を軽蔑し、体操の先生が好きになり、寺へ修行に入ろうとしたり、運動で激しくしごかれたいといいだしたのも、そのころからである。

 少年がヨットスクールへ去った後、彼の部屋に、1枚の絵が残されていた。
 梶原一騎のマンガ『あしたのジョー』の主人公が見事に描かれ、一編の詩が添えられている。


  男は旅立つ時がくる
   自分の生き方を探すために
    そして、闘う時がくる
   自分より大きな奴と
  負けるのを承知で
   足がぐらついても
    相手の目をにらみ
   相手にだけは
  負けざまをみせない
   俺は後悔だけはしたくない
    するまえに大きなことを
   やって死にたい
  俺たちは走り続ける
   とてつもない大きな
    夢を追うために


 絵は少年の描いたものである。
 『美しき狼たち』と題された詩は、マンガの主題歌をもじって彼自身が作ったものである。
 それは、ヨットスクールへ入るに当たっての彼の「心の書き置き」であった。
 だが、そのことには家族のだれも気づいていない。
 大学生の足も、自分が何気なく渡した1冊のマンガが弟の心に、それほどの影響を与えていたとは、つゆほども知らなかった。
 これをもって当世風に「親子、家族の断絶」と称し、「だから、もっと心を開いて語り合いましょう」というのだろうか。
 そんなことはあるまい。この少年の描いた絵と詩は、親の懐から1人の男へと巣立ち、旅立とうとする自立の詩と絵であろう。
 自立は、親に明かした時から自立でなくなり、親が手を貸しても自立ではない。だから子供たちは黙って親から巣立とうとするのである。
 もしあの時、親が連れ戻したままになっていたら、この少年はやがて家庭内暴力に変質していたであろうと思われる。
 少年はいま、自ら選んだヨットスクールで、厳しい訓練に耐えようと必死の努力を続けている。